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January 23, 2006 | 公正な報道とは。
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三日連続,政治的な話題で恐縮至極。深夜の帰宅で深夜の夕食を食べながらネットニュースを見てたいら,堀江氏が逮捕されていた。ま,これについては多くの人が多くのことを語っているので(語るであろうので),ここでは多くは語るまい。ただ,ライブドア社の姿勢について,おそらくたぶん誰も指摘してくれないと思うので,とりあえず一言。
- 【速報】ライブドア社長ら4人を逮捕
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1657419/detail?rd
- 「逮捕はやむを得ない」 IRと会計専門の早稲田大学の花堂靖仁教授に聞く
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1657479/detail
- 1月23日のlivedoor動画ニュース(ライブドア関連ニュース - 「ライブドア社長ら4人を逮捕」「ライブドア 『お知らせ』を発表」「堀江氏逮捕受け 社内の反応」「堀江氏支援と捜査は『別問題』」「ライブドア株 売り止まらず」)
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1657868/detail
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January 22, 2006 | 情緒と合理,安心と安全
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昨日に続いて,もひとつオヤヂくさい説教を垂れてもよかですか。今,新聞やテレビをにぎわせているもう一つの「大事件」,牛肉輸入問題です。これについても,まあ一億総評論家状態で数多の意見が出されてますが,やはり,誰もことの本質を言い当ててない。そんな気がします。唯一,それを言っているのは,しかも以前から予見しているのは,伏木亨の『人間は脳で食べている』(註1)くらいなんじゃないでしょうか? 結局のところ,日本政府もマスコミも,それから肉食大好きの国民も,首尾一貫としていません。場当たり的に右往左往。自分たちが何を求めているのか,相手にどう求めて行けばいいのか,わかってません。そりゃあ国際問題,良くも悪くも政治的駆け引きもあるでしょう。でも,首尾一貫とした戦略がなければ,結局は相手の思うつぼ。他の外交問題も含め,戦略なさすぎ。とほほ状態です。
今回,何故アメリカがこうもアッサリ非を認め,日本政府に謝罪をし,再び禁輸を呑んだのか,残念ながらあまり多くのマスメディアはそれを分析してくれていません。彼らが非を認めたのは,安全でないことがわかったからという科学的根拠に基づくものではありません。ましてや,安心でないことがわかったからという情緒的問題でも決してありません。単に,自らの落ち度で契約違反があったから,それだけなのです。これは欧米の契約社会(その精神的立脚は「聖書」にまで遡ります)を考えれば,容易にわかることです。情緒よりも合理,合理よりも契約。今回,それをちゃんとわかってるマスコミや評論家,そして消費者はどれほどいるでしょうか? 残念ながら,聞こえてくる意見は,「それみたことか,やっぱりアメリカ産はあぶない」「アメリカは信用できない」などなど・・・。どれも全く的はずれな議論です。
冷静に考えれば,すぐわかります。今回のアメリカ側のミスが発覚したことにより,日本に輸入されるアメリカ産牛肉の安全性は少しも下がったり上がったりした訳ではありません。問題の部位はアメリカ国内や他の国へは「安全」として流通しているものなのです。科学的な根拠に立脚すれば,20ヶ月齢以下の若い牛であれば,危険とされる部位(背骨)などを習慣的に食べても,人間が発症した例は存在せず,もしあったとしてもその確率は飛行機事故よりも自動車事故よりも喫煙で肺ガンになる確率よりも桁違いに低いのです。今回の混入問題発覚により,その発症確率が上がったり下がったりするわけではありません。アメリカは確かに日本に謝りました。何を? それは安全性の低下に対してではありません。日本向けに輸入しないと契約した危険(と日本が指定している脊柱)部位を混入させてしまったという,己の契約不履行を謝ったのです。ということは,その契約が再び結べる状態になったのなら,更に前回よりも語気を強めて,輸入再開を強く求めて来るであろうことは容易に予想できます。その時,日本はまた情緒的に応酬するのでしょうか? そうなったら国際世論として(国内世論ではありません),どちらに軍配が上がるでしょうか? 勝負は目に見えてます。
もちろん,情緒的な安心感,というものを,私はバッサリ切り捨てたいとも思いません。前述書の著者の言うとおり,人間の感じるおいしさは今や五感だけでなく情報から得るところも大なのですから,消費者行動として,それを全く無視するのもナンセンスだと思いますし,私自身も「情緒」という文化は大事にしたいと思っています。では,何が問題なのでしょうか? それは政府がちゃんとアメリカや他国に説明責任を行っていないからです。日本文化は風土的歴史的に他文化と比べ清潔感や清浄感をことさら重視する傾向にあること,それが消費や経済にまで多大な影響を与えること,など,相手の文化や価値観に即した翻訳を行って,自国の立場を相手に説明をしなければならないのです(例えば,情緒感や風評はマーケティング上重要なファクターなので,彼ら(契約型資本主義経済)に取っても重大問題であるという認識は十分共有化できるはず)。また,相手の価値観を分析して,次はどう行動するかどう反応するかを予測しなければならないのです。そういった説明の努力を怠ってる。まるで戦没者祈祷問題で揉めてるどこかの国の首相みたいですね(あ,自分の国のだった(笑))。同様に政府は,国民に対してもきちんとした説明責任を履行していません。十分な科学的根拠に立脚しない全頭検査をするということは,それだけ理由が不明瞭の予算をとるわけで,そのぶん他の予算が減らされるわけです。例えば,鳥インフルエンザ対策とかハンセン氏病補償問題とか出産費用無料化とか。それら大きな枠組みの中でどれを優先的に対処するべきか,というのが本来政治家や官僚の行うべき仕事ですが,彼らは目先の選挙と地元の利益ばかりを気にしたり,縦割り行政で既得権競争に終始したりと,大局的な視野に立って戦略を練るにはほど遠い状態です。これじゃあ国民が納得するような政策はでないのも当然。マスコミもマスコミで,いちばんタチが悪いのは,情緒と理論を場当たり的に都合良く使い分け,耳あたりのよいが首尾一貫しない論調で消費者の不安を煽る。冷静で理論的な分析はテレビ受けしないからあまりやらない。そういった政府やマスコミの首尾一貫のなさが,この問題をここまで大きくしている根本原因なのではないでしょうか?・・・そして,そういった政府やマスコミを,我々消費者が支えているのです,彼らに踊らせられながら。
では,消費者はどのような態度に出ればよいでしょうか? 重要なのは情報に煽動されて,惑わされないことです。己の立場を容易に豹変させないことだと私は思います。もしあなたが,どうしても牛肉をたくさん食べたいという快楽を追求したいのであれば,自己の生命に甚大な影響を与える確率でない限り,それを受容して摂取するのも一つの手でしょう(アメリカ人が牛肉を食べるように。喫煙者が煙草を吸うように)。もしあなたが,どうしても情緒的に感覚的に安心して牛肉を食べることができないと思うのであれば,情報に一喜一憂せず,長期的に牛肉を食べる機会を大きく減らしてみたりするのもよいかもしれません。(余談ですが,現代人は肉食依存症で,食べなくてもよいものを食べて栄養素を過剰に摂取しすぎです。それはまた別の話題として,いずれ書きたいと思います。)あなたが今から食べようとしている牛肉は,あなたが本当に食べたいと思っているものでしょうか? 五感としておいしいと感じているものなのでしょうか? あなたは情報を食べていませんか? 情報に食べさせられていませんか? 食の「安全」は政府や業者に厳しく追及しなければいけないことですが,「安心」は誰かに決めてもらうことではありません。そのことが,我々に一番足りない情報なのではないでしょうか。
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January 22, 2006 | 市場とは誰のものか?
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自分は株はやらないし,株のことを語るのもなんだかオヤヂ臭い(と思われそーな)んであまり好きじゃないのよ。しかし,なんでしょうかね,この昨今の狂乱は? 何かが狂ってないでしょーかね? テレビとかインターネットで百家争鳴の議論の中,誰もことの本質を捉えていないのは何ででしょうかね?(いや恐らく良心的な研究者などはそう言ってるんだと思いますが,残念ながらマスメディアにまでは声が届かないのかもしらんな・・・。)というわけで,マスメディア経由の発言ではなかなか掌を打つような発言が見あたらないので,我慢できずに自分で書いてみることにしました。経済の専門でもなんでもないシロート発言なんですが。やっぱりオヤヂの説教臭くなってしまいますが。
先日の日経新聞の社説(ああ,オヤヂ臭い!(笑))にこう書かれてありました。
・・・かつて株式市場の主役だった金融機関や事業会社は株価変動やその影響のクッションの役割を果たしていた。持ち合い解消で主役になった個人や外国人の投資行動は,上げ相場で買い,下げ相場で売る,順バリに傾きがちで,目先の材料に過剰反応する傾向が強く,影響は家計に直接及ぶ。純投資家主体の市場になったことで,株価形成は中長期的には投資価値を反映したものに近づいた半面(ママ),短期的には不安定性を増し実体経済への影響の表れ方も変わった。 日本経済新聞 2006年1月19日(木) 第2面 社説このへんが,とりあえず現時点で一番冷静で的を射た分析なんじゃないでしょうかね。そこからもう一歩踏み込んで発言して欲しかったですが,日経さんも社説じゃ責任重いしね・・・。
さて,最近では小学生などにも株の勉強をさせると聞きます。正しい株の知識を身につけるのであれば,それはそれで構わないでしょう。しかし,「正しい株」「正しい株式市場」とはいったい何でしょうかね? 教える大人も,教わる小学生も,日本全体が,いや地球全体が,みんなそのことを忘れてちゃってはいませんかね? 株式市場とは個人が儲けるための場ではないのですよ。市場とは社会全体を維持し育成するためのものでしょーが。「持てる人」は持てる資金を株として,ある会社に投資し,場合によっては経営に参画し,会社を養う・育てる,という義務と責任(とそれゆえのリスクと報酬)があるわけです。これは個人でも法人でも同じ。そうやって,社会全体に資本を血液のように循環させるのが,株という手段ではなかったんですかね?
本来,株ってもんはそれを保有し,その配当で利益を受けるもんでしょ。それが,最近ではインターネットという武器を手にしたこととも相まって,短期的な売買を繰り返し,その差益で利潤を稼ぐデイトレーダーみたいなのばっかりになっちゃったようですね。バブル期もそういう輩が多かったですが,今はそれがさらに社会全体に薄く広く散じているような気がします。彼らは,社会全体を見渡して,ある会社を育てようとか,ある産業を育成しようとか,そういう大義名分がないよね。愛がない。ほんまに自分さえ儲かりゃいい,ってカンジでなりふり構わない。それでいいんですか,みなさん? 一億,十億とカネを持ってる人は(それと,たとえ数万でも市場に投資してる人は),そのカネはもはやあなた個人だけのカネではないんですよ。社会責任のある公の(パブリックな)カネなんですよ。株はリセット可能なRPGのバーチャル通貨じゃないんですよ。株とは,モノもヒトも技術も頭脳も,そういった実体が伴う重〜いものを背負った証書なんですよ。そのこと,わかってるんでしょうかね?
いや,結果として儲けたりついでに儲けたりするのは構わないんですけどね。儲けがなければ投資が持続しないから。しかし,みんながみんな利己的に儲けに走ったら,社会は破綻しちゃいますよ(んで,今回のような状況になるわけです)。もちろん,私がこんな小言を言うのも,それが古典的資本主義観の大義名分に過ぎないということは十分わかってるんですがね。でも,大義名分さえ忘れ去られてしまうような,この昨今のタガが外れた傍若無人な拝金狂騒曲はいったい何なんでしょうかね? お金持ちになりたい,お金稼ぎたい,それもまあOK。でもキミたち,お金持ちになって,それからどうするの? その金をどう使うの? どう社会に還元するの? それをまず小学生に教えなさい。それから,社会やヒトに興味のないカネにしか興味のないデイトレーダーたちにも。そうでないと,日本が,地球が滅んじゃうよ。なんとかしてよ。
ほんまにもー,オヂさんは怒ってるんだから。この現状を引き起こしたヒトたちに。それからこの現状の本質を見ようとしないヒトたちに。問題の本質は,ホリエモンとか東証だけじゃないのよ。みんな,気が付いてよ。
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August 24, 2005 | 高校野球なんて大嫌い
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まあなんというか,やっぱりね,という感想しか持ち合わせないのが世間一般の印象じゃないでしょーかねー,高校野球。
・ASAHI.COM:駒大苫小牧野球部長、6月と8月に部員に暴力 謹慎処分
http://www.asahi.com/sports/bb/TKY200508220308.html
・Yahoo!ニュース:<高校野球>明徳監督が不祥事隠ぺいを弁明、被害者に金銭も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050804-00000120-mai-spo
こないなしょーもない事件ばっかし起きるんなら,もういっそのこと高校野球なんて一切やめたらどないですか。・・・な〜んていうと,真剣に野球やってる高校球児とか,毎年高校野球をホンマに楽しんではる人たちからオシカリを受けそーなんで,も少しマトモな案を出させてもらいます(笑)。
【案1】不祥事は厳罰。暴力事件は10年間出場停止。喫煙発覚は3年間出場停止。
一部の報道では,関係のない部員がかわいそうとかいう同情意見もあるようですけど,所詮野球は団体スポーツ。「関係ない」の一言で責任逃れできるもんちゃいます。特に暴力やいじめなんかは組織的に行われるのが殆どですし,見て見ぬふりなんぞ,それこそ清く正しい高校球児のやるこではありません。内部告発もどんどんOK。不正や悪行には目をつぶらず,この際,膿を出して貰いましょう。高校球児はあくまで全国青少年のお手本,監督や部長はあくまで世間の大人のお手本。それが少しでも守れない野球部はお家取りつぶし。一旦「伝統」をすべて放棄して,一から出直すんですね。だいたいプロ野球以上に戦力偏りすぎだし,不祥事起こした強豪校が淘汰されるのもスポーツ精神的には却って健全でええんとちゃいますか。あぶれた球児たちは地元に帰ってノーシードで甲子園目指したらいーんじゃないでしょーか。それが本来の高校野球というもんだよ。不祥事は10年間出場停止。それぐらい厳罰にせんと,暴力や違反の温床は直らんわな。
【案2】喫煙や飲酒の類は不問。ただし,丸刈りは禁止。
誰や,高校野球に精神性や神聖性を持ち込んだんは? そんなもんマヤカシや〜。高校球児だって所詮ヒトの子。そりゃあちょっとくらい酒や煙草もやりたくなるだろうし,やんちゃもしたいお年頃。そういう火遊びはフツーの高校生と同じレベルでガツンと学校で叱っといて,野球は野球でペナルティーなし。もちろん陰湿な暴力事件は司法に裁いてもらって下さい。それはそれ,これはこれ。選手には名実ともに野球に専念してもらいましょう。ただし,「さわやかな」とか「ひたむきな」とか「健全な」とかいうタワケた形容詞は使用禁止。全員丸刈りも軍隊調で権威主義的だから禁止。選手宣誓もいらんー。逆に茶髪やピアスやヒゲは解禁。野球がうまければそれでOK。もっと自由に伸び伸びさせたらええやん〜。それくらい割り切らんと。
さて,どないでしょう? タカラヅカじゃあるまいし,もう今ドキ高校野球に「清く正しく」を求めるなんて,ちゃんちゃらオカシイわ〜,というのは誰も口に出さんけど周知の事実。大本営発表ももうムリがたたって末期症状ですね。高野連も小手先ばっかりの処分だの改善勧告だのでお茶を濁さんと,どっちかハッキリ腹を括らんかい,ゴルァ。・・・と,そう思いませんか?>みなさん (^^)
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February 16, 2005 | 祝・京都議定書発効
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ようやく,というかなんというか,ここまでこぎつけました。いろいろ難産の末,今後も困難な道のりではあることも予想されますが,ひとまずは宇宙船地球号の船出を祝い,順風な航海を祈りたいと思います。地球が滅んじゃってもいいから一国主義を貫きたい人たちもいるようですが,10年後にはこの記念日が地球全体で祝えることを切に願います。(願うだけでなく,我々ひとりひとりも行動をおこさねば。)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20050216it12.htm
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050217k0000m040088000c.html
http://www.asahi.com/business/update/0216/126.html
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February 11, 2005 | 弱きもの,汝の名は悪魔なり
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物騒な凶悪犯罪が起こる昨今,迂闊に「悪魔」を擁護する論を張ると,ややもすると大な誤解と偏見を被りかねない。ここは慎重に行こう。ここでは,ひとまず,「悪」と「悪魔」の相関性は置くとする。確かに悪魔は悪を犯すかもしれない。しかし,「悪魔」と呼ばれる必要十分条件は「悪を犯すこと」ではなく,「神に悪魔と呼ばれること」なのだ。それに過ぎない。前回のミトラ神を追って,深い本の森に分け込んでしまった。迷うがままに彷徨ってみよう。以下,またしても恐縮だが,長々と引用。
■J.B.ラッセル(野村美紀子訳):「悪魔 古代から原始キリスト教まで」,教文館 (1984).
反対物の共在は天界の戦いという概念によって表現されることがある。しばしば一群の神々が若い世代の神々によって位を追われ,悪とみなされるようになる。キリスト教徒はギリシアとローマの神々からデーモンを作った。オリュンポスの神々はティーターンを有害な霊に変え,テュートン人の神々は巨人族を征服した。インド=イラン人の宗教にははじめ二組の神々がいた。アシュラ(インドではアシュラ,イランではアフラ)族とデイヴァ,またはディーヴァ族である。イランではアフラ族がディーヴァ族を征服し,アフラ族の指導者が主神アフラマズダ,光の神になった。ディーヴァは悪霊の地位を与えられて,闇の王アーリマンの手下になった。インドではディイヴァ族がアシュラ族を倒した。ある意味ではインドで起こった結果はイランの場合の反対だが,深い意味では,起こったことはきわめて近い。一群の神々が他の神々に征服されて全体として悪霊の地位へ逐いやられたのである。(中略)「神」と悪魔は永劫の昔から存在し,力を合わせてきた。あるいは両者は兄弟である。あるいは「神」が悪魔を創造する。あるいはさらに近い関係で「神」が悪魔を生む,あるいはみずからの本質から作り出す。
(中略)
ヘブル人ははじめ,ヤーウェが神なる原理の唯一の顕現である,と主張した。かれらの神は「神」になった。だがかれらは自分たちの唯一の神が可能な限り至善であることを欲した。こうしてかれらは暗黙のうちにまた無意識に,「神」の悪の面を善の面から分離して,善の面を主,悪の面を悪魔とよんだのである。それでもかれらの宗教の原理は本質的に一神論だったから,かれらはふたつの別々の原理の措定の前では踏みとどまらねばならなかった。そのため悪の精神である悪魔は変則的な地位にとどまることになった。一方では悪魔は悪の作り手であって,悪魔が存在することによって主は世界に存在する多数の悪に対する直接の責任を逃れた。その一方で悪魔は独立の原理ではなく,主の被創造物,さらには僕であるとさえされた。この変則性が潜在的な一元論と二元論との緊張を生むことになった。悪魔は旧約聖書ではめだつ存在ではなかったが,外典,黙示文学,新約聖書ではおおいに発達した。たんにつまらない迷信の添加などということではなく,悪魔は「神」自身のうちから生じたのであり,善の主の対をなす存在,双児の一方であり,神の影なのである。(下線部はぽた郎による)
■ジョルジュ・ミノワ(平野隆文訳):「悪魔の文化史」,白水社文庫クセジュ (2004).
そもそも,多神教は悪魔をそれほど必要としてはいない。それもそのはずで,数多の神々が存在するところお互いが牽制しあい競合関係が生まれるのは必定であり,しかも,こうした神々は,利害に応じて善人にも悪人にもなりうる曖昧な存在であるから,それだけで悪の存在を説明するに足りうるのである。一神教はこれとは正反対で,悪魔なしでは立ち行かない。唯一神である限り,その神がすべての源とならざるをえない。つまりは,善のみならず悪の源泉にもなってしまう。この大問題を回避する方法は一つしかない。すなわち,悪の存在を説明できる逃げ口上を,なんとか見つける以外にない。この逃げ口上がまさしく悪魔であって,これ以上に解決法は見当たらない。ただし,全能者の創造した世界を,なぜより劣った存在が混乱せしめうるのかを,まだ説明する必要は残されているが。
神は「絶対者」に近づけば近づくほど,より強力でより善良,かつより普遍的になるが,同時に,神にとって悪魔の存在は,もはや必要不可欠なものにならざるを得ない。悪魔の概念が,キリスト教という宗教において,最も高い完成度にまで練り上げられた理由も,この辺りに求めうるだろう。逆説的なことに,サタンのみが神を救いうるのである。サタンのおかげで,現世における理不尽な肉体的・精神的苦痛を説明することが可能となるからだ。もし,このサタンがいなければ,全能にして無限に善なる唯一神なんぞを,一体誰が一瞬たりとも信じるであろうか。完璧なはずの神が,これほど悲惨な世界しか作れないのだから,当たり前の話である。ジョン・ウェスリー(1703〜91年:英国の宗教改革者。メソジスト派の開祖)の喝破した通りで,「悪魔なくして神なし」ということに相成る。もちろん,逆も真なりであって,いわば,このカップルに別れ話はありえない。
(中略)
・・・すべての一神教は,実は偽装した二元論にほかならない。悪の神が下位にることを信じて貰おうとして,どんな言い訳をしたところで,この本質は変わらない。大抵の場合,至高の神という不公平な審判者を措定して,善に軍配を上げようとするのである。ユダヤ=キリスト教という一神教もまた,この枢要な問題に直面せざるをえない。すなわち,一体いかにして,悪の敵すなわち善なる唯一神の全能と,悪の執拗なる存在とを,両立させうるのか,という問題にである。(下線部はぽた郎による)
秀逸な批評の引用のあとには,多くを語るまい。とはいえ,ちょっとだけ蛇足を。(イブに知恵を与え賜うた楽園の蛇も足があれば疎んじられなかったろうか?) 「悪魔」とは「悪」を成したかどうかが問題ではない。「神」から烙印を捺された者がすなわち「悪魔」なのだ。そして,神は己の意のままにならない者には烙印を捺したがる。「神」を「合衆国」あるいは「ブッシュ」と,「悪魔」を「イラク」あるいは「フセイン」と置き換えて見よ。まるでかの国の国務長官(おそらく大天使長に相当するのだろう)の就任演説である。「神」はうっかり倒してしまった「悪魔」を懐かしみ,己の地位を守るために新たに「悪魔」を探すことに躍起になるよりほかはない。もちろん,「悪魔」に安易に同情するのは禁物であるが,「悪魔」=「悪」と直情的に結びつけるのは,それこそ「神」の思う壺ではないだろうか? 「神」からも「悪魔」からも離れて,怜悧な理性の目を以て物事を見よ。歴史は,そして宗教学は,そう教えている。
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September 20, 2004 | 選手会のストを全面的に支持します
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昨年もこの時期に海外出張をしたのだが,そのときは帰ってきたら阪神優勝の直前だった。今年は・・・,ストの話題でもちきり。この一年で球界も激変したということか。今回の日本のプロ野球選手会のストライキは全面的に支持したい。今回のストライキで注目したいのは,選手会側が賃上げなど自らに利する要求を一切していないことにある。この点が米メジャーリーグのストと決定的に違う点であり,多くのファンからも支持が得られている点であるとも言えるだろう。それに対して機構およびオーナー陣の情けなさ。まず,説明責任というのもがなんであるかをご存じないらしい。そしてあからさまな私物化態度。これで世論(あるいは野球ファンの理解)を得られると思っているとしたら大した経営感覚だ。選手会はぜひ,土日限定の時限ストでなく,今シーズンいっぱい無期限ストをちらつかせるくらい毅然とした態度でやって欲しいものだ。このままなあなあで「示談」になると,それこそ日本のプロ野球界に未来はないぞ。
続きもあります。>>|
August 17, 2004 | 沖縄で起った武装勢力の傍若無人な振る舞いについて
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例えば,あなたの家にヘリコプターが落ちてきたとしましょう。そのヘリコプターは武装勢力のもので,今はその仲間がやって来て勝手に事故現場を占拠して証拠隠滅を謀っています。自分の家がどうなってるのか,近づくことすらできない状態です。幸い死人が出なかったからよいようなもの,これからどうなっちゃうのか心配です。地元の警察も武装勢力には恐くて手出しができないらしく,いっさい掛け合ってくれません。その武装勢力はあなたを敵から守ってやってるんだと勝手に理由をつけ,あなたの土地を占拠したり,法外なショバ代を要求したり,街で乱暴を働くメンバーをかくまったりなど,困ったものです。法律もあって無きがごとしです。いったいどうなってるんでしょう,この国は・・・。
・・・ちなみに,「この国」とはイラクでもアフガニスタンでもなく,日本です。そして,「武装勢力」とはアメリカ軍のことです。我が国ではこのようなことが現実に起こりえます。そして,起りました,沖縄で。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040817-00000015-ryu-oki
軍用ヘリコプターが教育施設や住宅地に墜落したこと自体も重大ですが,その後の顛末こそが非常に問題です。我が国の国土で起った事故にも関わらず我が国の関係者がまったく近付くこともできない,というのはどういうことでしょうか? まるで明治の不平等条約の時代のような出来事です。どうやらこれが,彼らにとって「日本を守る」ことらしいようです。我々の主権すら無視する傍若無人な振る舞いをされてまで,彼らに守ってもらわなければならないいわれはあるのでしょうか? また,このような傍若無人な振る舞いが,沖縄に極度に集中しているのを見逃していてもよいのでしょうか?
ヘリコプターが墜落した沖縄国際大学のあのキャンパスのあの通りは,ぽた郎も何度か通ったことがあります。だからこそ,今回の事件はリアリティもって身震いしました。あなたの家にもヘリコプターが落ちてくる可能性はあります。そして,その現場には(最悪の場合,あなたの子供が取り残されていたとしても)警察すら近寄ることができません。これが今の日本という国家です。あなたはこのままでもよいと思いますか?
続きもあります。>>|
July 11, 2004 | みなさん,投票行きましたか?
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数日前,読売巨人軍の渡辺オーナー(ナベツネ)が「無礼なことを言うな。分をわきまえないといかん。たかが選手が」との暴言を吐いたそうですが,これは,日本プロ野球選手会の古田会長の「オーナーたちと話をしたいという気持ちはある。」という発言を受けてのコメント。ナベツネの暴言は今に始まったことではないですが,今回のは今までで最も低レベルで最悪です。彼は新聞社の社主という立場にありながら,日本国憲法さえまともに読んだことないらしいですね。
第二十八条【労働者の団結権・団体交渉権その他団体行動権】まあ彼らに今さら法律論や憲法論を諭してももはや意味はないかと思いますが,今回のナベツネの暴言は,彼の一連の行動(説明責任の欠如,意思決定の密室化)を端的に裏付けているといえるでしょう。彼にとっては選手もファンも「たかが」の存在。球団および球界の私物化。結局,日本の野球とは,誰のものなのでしょうね?
勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
不思議なことに,この名物オーナー,これまでどんな暴言を吐いても大した反応もなく安穏とそのまま居座り続けています。巨人ファンや読売新聞購読者はこのオーナー(社主)の発言をどのような思いで聞いているのでしょう? まさか「たかが選手」発言に対してその通り! と拍手喝采しているわけではないでしょうね・・・。しかし,沈黙を守っている限り,それと同じことをしているということはお気づきでしょうか。こうやって従順な羊のようなサイレントマジョリティーが存在する限り,このような暴言オーナーはいつまでも安穏と権力の座に居座ることができます。そういった輩にお灸を据えたいのなら,ファンのみなさんは直接行動に出るべきです。例えば巨人戦はしばらく見ないとか,読売新聞をやめてみるとか。ブログや掲示板を持っていればそれをネット上で訴えるとか・・・。抗議の手紙や署名も有効な手段ですが,このような直接行動は彼らの売り上げの直結しますので,それよりずっと効果があるはずです。なにせ相手は金の亡者なのですから。われわれ「たかがファン」はひとりひとりの持つ力は小さいですが,それが大きな波になったとき,権力者にお灸をすえるに足る大きな力が生まれます。みなさんもアクション起こしてみては如何でしょうか?
というわけで,最後に無理矢理タイトルのネタに戻ってきますが,みなさん,投票に行きましたか? ひとりひとりの力は小さいですが,「投票」というアクションを起こさなければそれは大きな力になり得ません。今の選挙システムでは,サイレントマジョリティーは確実に為政者に(しかもその為政者が不正や不実を行えば行うほど)利するシステムになっています。いまのプロ野球の性急な合併話に満足ですか? でなければ是非アクションを起こしましょう。今の政治に満足ですか? でなければ是非投票に行きましょう。選挙は20時までやってます。まだ間に合います。我々の明日のために。
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April 18, 2004 | イラク問題について,ふたことめ
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イラクで人質になっていた方々5人が相次いで解放されました。ひとまず解決,ということで日本中に安堵感が漂っているようです。と同時に,待ってましたとばかりの自己責任論の大合唱。私にはちょっと違和感を覚えます。政府関係者が発言するのはまあ彼等の立場からわからんでもないですが(それでもレベルの低い発言ではありますけど),本来中立なはずの有識者(と呼ばれている不思議な人々)から一般の方々まで,感情的で短絡的な発言が将来自分達の首を絞めることになりかねないのをわかって発言しているのでしょうか? ちょっとうすら寒いです。
いつくか見られる論調から,自分の考えに近いものをひとつ引用します。
■小倉利丸:「イラクとNGO「自己責任」論でいいのか」,朝日新聞 私の視点欄, 2004年4月17日朝刊
そこでは,戦争の当事国から独立したNGOならではの活動が正当に評価されていない。考えてみてほしい。果たして自衛隊や政府が今,劣化ウラン弾の被害調査や貧しい子供たちへの支援をできるだろうか。自己責任論を展開している人々は総じて,「NGO」や「戦場ジャーナリスト」が何であるか完全に誤解しています。あるいは,完全に無知であると言わざるを得ません。彼等にとって,被害にあった方々はまるで観光か何かに行ったかのような口ぶりです。あるいはよく使われる単語は「ボランティア」。もちろんボランティアも崇高な使命ですが,この場合,事情は「善意の助け合い」だけに矮小化できるものではありません。彼等は「NGO」であり「戦場ジャーナリスト」なのです。自己責任論者は,その観点が完全に欠落しています。
ファルージャでは無差別ともいえる米軍の攻撃によって,多数の子どもや市民が犠牲になっている。もし現地にジャーナリストがいなければ,こうした事実は隠されたままで終わるかもしれない。日本政府はイラクへの渡航を禁止したいようだが,それはイラクの密室化にもつながるのだ。(中略)
政策に賛同しないNGOとその活動を,政府がどこまで手助けするのかーーそれがその国の政治や民主主義の成熟度を示すのである。」
NGOや戦場ジャーナリストがなぜそんな危険な地域に行くのか?という疑問の前に,何故その地域が危険になってしまったのか?それは誰のせいなのか?どうすれば少しでもよりよい将来につなげられるのか?という根源的な問題追求を,自己責任論者は完全に見落としています。あたかも火山の噴火を物見遊山で見に行ったかのように。もしそのような地域にNGOも戦場ジャーナリストもいなくなったら,それはそれで政府や戦争当時者には好都合でしょう。都合の悪いものは全て隠蔽出来るわけですから。そうなるのを防ぐために,NGOや戦場ジャーナリストの方々は文字どおり命を賭けてそこに行くわけです。そういった背景を全く無視して,安全なところからぬくぬくと自己責任論を唱える人たちは,自分たちが思いつきで安易に感情的に唱えた言論が,まさしく権力者に都合のよいように利用され,結果的に自分達の首を絞めることになりかねないことをちゃんと理解しているのでしょうか?
小泉首相の被害者への叱責発言。あれは首相の立場としてはあながち間違った見解ではありません。とかく政府は自分たちの意のままにならないNGOや戦場ジャーナリストを存在や行動を煙たがりますから。しかしそれを感情的に発言するのは政治家としては失格です。いや,もしかして世論操作を狙ってワザと感情的に発言したとしたら,それはもうゲッペルス並の計算づくですね。それはそれで天晴れ。そして,まんまとその感情的な世論操作に多くの一般市民が同調してしまう・・・。これは本当に恐ろしいことです。NGOやジャーナリストはチョロチョロするな。・・・その究極の行き着く先は,「1984」の警察国家やまさしく旧フセイン政権のような独裁国家に他なりません。日本をあまねく覆いつつある市井の自己責任論者は,それを望んでいるのでしょうか? どうか,一時の感情論ではなく,冷静に理性的に考えて貰いたいものです。
最後に。今回は拉致されたのが「たまたま」民間人だったので,悲劇的な結果に終わらず無事解決を見たようですが,同様の事件が再発する危険性はまだまだ減ったわけであはりません。今後,政府関係者や自衛隊員に人的被害が出た場合,政府はどのように対応するのでしょうか? 世の自己責任論者はどのようないいわけをするのでしょうか? そうなる前に手を下すべき最善の策はただひとつ。「テロに屈して」でなく「世論に屈して」自衛隊を速やかに撤退すること。アメリカ占領政策に追従することが間違いだったと素直に認めること。それが国際社会に真の意味で貢献する最善の策ではないかと思います。
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April 11, 2004 | イラク問題についてひとこと。
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この日記を始めた時,仕事の愚痴と政治的な話はしないようにしよう,と考えた。もちろん,現実世界のぽた郎は日々あれこれいろいろとは考えているのではあるが,その考えたことをネット人格の「ぽた郎」にすべて射影しても仕方ないと考えたからだ。この考えは今でも同じではあるが,前者はともかく,後者はやはり避けて通れない,沈黙を続るわけにはいかない,という気持ちが次第に強くなってきた。というより,このご時世,政治に背を向けて安穏と形而上的な世界に引きこもっていることは出来ないし,したくないのだ。というわけで,「ぽた郎」というネット人格に「politics」というカテゴリを与えることにした。まあ,ここはあくまで「形而上日記」なので,あんまし政治的な話ばっかりにはしないように心掛けよう。
■池澤夏樹:「3人の誘拐について大急ぎで, パンドラの時代 http://www.impala.jp/pandora/index.html」
ついに,というか,やっぱり,というか,イラクで日本人民間人が誘拐され,自衛隊撤退の交換条件を突き付けられている。この記事を書いている時点ではどうやら事態は平和裡な解決に向かうようで何よりであるが,この事件はやはり「何故自衛隊なのか?」というテーゼを改めて日本市民の喉元に突き付けた形となった。イラク問題に関してはあまたの評論家が百家争鳴の態を成しているが,個人的には池澤夏樹がもっとも誠実でわかりやすく,かつ正鵠を得た論評を張っているように思われる。少し長いが引用しよう。
では、今、日本はどうすべきか?池澤の述べていることは明快である。「誘拐とは無関係に」撤退すること。誘拐事件が幸い解決に向かったことで,池澤の言説はさらに説得力を帯びて来る。確かにテロや脅迫に屈する形で政策を転換するのは最も最悪のやり方である。誘拐が解決したから自衛隊もOK。小泉政権はそう考えるに違いない。危機管理能力の欠如したあの政権ではそういう思考に走らざるを得ないことは眼に見えている。しかし,テロや誘拐・殺害の危険性は消滅したわけではなく,今後も同様の(あるいはさらに劣悪な)事件が起きる可能性は非常に高い。その時こそどうするのか,小泉政権はちゃんとシミュレートしているのだろうか? ここで最善の方策はただ一つ。「テロに屈して」ではなく,「世論に屈して」速やかに自衛隊を撤収することだ。そうすれば国際的にも国内的にも面目と尊厳を保ちながら「勇気ある撤退」として小泉サンも花道を飾れるであろう。今がその最後のチャンスなのだ。スペインもポーランドも市民の声を反映した良識ある選択をしつつある今,日本だけがチキンレースを続ける必要はないのだ。 続きもあります。>>
自衛隊を撤退させればいい。それ以外に取るべき道はありません。ただし、3人が誘拐されたから、その生命を救うために撤退するのではない。
それでは取引になってしまう。
今後、日本に対して何か強い要求を持つ者に対して、日本の民間人を誘拐すれば目的はかなうという前例を与えることになる。
それこそテロに屈することになる。そうではなくて、自衛隊を復興支援という名目のもとに派遣したことが間違いであったことを正式に認め、今のイラクを平和に導くために必要なのは武力ではないことを認め、その上で撤退を速やかに実行する。
言い換えれば、誘拐とは無関係に、政策の転換を内外にはっきり表明する。