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August 22, 2005 | ギュスターヴ・モロー展,死と眩暈の色彩
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フランス国旗の青・白・赤(トリコロール)は自由・平等・博愛を意味するが,ギュスターヴ・モローのトリコロールはさしずめ,死・性・血を象徴すると言えようか。モローの絵はそれほど,「死」のイメージに満ちている。青はくすめばくすむほど青ざめた精神や腐敗する死体を指し,冴えれば冴えるほど強力な毒をもつ鉱物を暗示する。赤はある時には煌びやかな虚飾の緞子(どんす)や宝石となり,ある時は文字通り首から滴り落ちるどす黒い血となる。そして,白は美しく理想化された裸体として象られるが,それは生き生きと躍動する肉体ではなく,裂けば赤い血が迸(ほとばし)りやがて青い腐敗が始まるのを約束された,儚くも美しい束の間としての「生=性」の容れ物に過ぎない・・・。例えば,「出現 L'Apparition」,あるいは「ケンタウロスに運ばれる死せる詩人 Poête mort porté par un centaure」を見よ。現実の生から一切目を背けた病んだ精神が生み出す閉じた幻想世界。「死」に彩られた過剰な色彩の世界は,我々の脳裏に焼き付いて容易に離れない。それが故に,我々はモローの織りなす宇宙に畏怖と眩暈を覚えずにいられないのだ,まるで美しい死神に魅入られたように。
【註】リンク先の画像は Bunkamura ザ・ミュージアム ギュスターヴ・モロー展のサイトの一部です。
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December 25, 2004 | やちむんの神様
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壺屋焼の巨匠,人間国宝の金城次郎氏が逝去。
http://www.asahi.com/obituaries/update/1225/003.html
ぽた家は次郎さんの作品は持ってませんが(欲しいが手が届かん),次郎さんの娘さん(宮城須美子氏)の作品は持ってます。次郎さん風のお魚柄の夫婦(めおと)茶碗。那覇のやちむん通りでさんざん探して買いました。結構気に行ってます。値段もリーズナブル。人間国宝の娘のお茶碗で毎日ゴハン食べてます。ハイ。(^^;
・・・ともあれ,ご冥福をお祈り申し上げます。
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May 11, 2004 | JR奈良駅,延命。
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一時期,取り壊しか?と騒がれていたJR奈良駅の旧駅舎ですが,その後,移築・保存が決定されていたようで,今日のニュースで曳屋工事が大々的に取り上げられてました。(朝日新聞大阪版夕刊では一面に写真付きで掲載。)ちょっとホッとしました。
http://mytown.asahi.com/nara/news01.asp?kiji=3190
昭和9年完成の典型的な和洋折衷様式。重厚感あふれる新古典っぽい箱モノの上に瓦屋根と宝輪,というなんともほほえましい(しかし当時の日本人が頑張って考え出した)なんちゃってスタイルは,ぽた郎は結構好きかも。密かに気に入ってました。
先日のmorioさんの記事でも解体の恐れがあるヴォーリズの建築についてコメントされてましたが,今回はよい方向で保存が決まったようでなによりです。やはり最後は近隣の住民の方々の力,というところでしょうか。この件でスクラップ&ビルドの風潮にちょっとでも歯止めがかかればよいな・・・と淡い期待を抱きつつ。
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April 21, 2004 | 色は匂へど
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ちょっと前におだあさんの掲示板でTBirdさんが紹介されてたページ,ぽた郎的にはいたく気に入りました。備忘録的にこちらでもご紹介。
■色ものがたり, Le moineau すずめのお宿 http://moineau.fc2web.com/
和の色を見てると不思議と心が和みますね。それがたとえRGBの符号に分解されようとも。それは我々のDNAにインプットされている感情でしょうか。ニュートンは科学的には正しいけれども,我々はラララ科学の子だけれど,やっぱりそれだけではないのだよ。ゲーテさん,あなたも正しかった。少なくとも200年後の世界では。というわけで,ついでにハナシが飛ぶが,「色彩論」。私も心情的にはゲーテの方に軍配。
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March 20, 2004 | 円山応挙展,もしくは混んでる美術館で愉しむ方法
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東京出張のついでに,ほんのちょっとだけ時間が空いたので,ダッシュで江戸東京博物館の円山応挙展に行く。この世界では超有名とは言えたかだか日本画の展覧会なんで,閑散としてゆくり見れるやろ・・・と思いきや,入口まで行ってビックリ。なんと,長蛇の列。しかも入場制限までしてる・・・。世の中,日本画ブームなのか? たぶんテレビなどで大々的に取り上げられたのだろうが,普段テレビのない生活をしているぽた家の一員としては,この現象はまったく不可思議に映る。いにしえの日本の文化が人気のあるのは悪いことではないが,それにしてもみんな「右向け右」なのか? この老若男女入り乱れての熱狂ぶり(?)はちょっとそら恐ろしい。というわけで,今回はうっかりタイミング悪く入ってしまった混雑した美術館で,イライラせずにどう愉しむか,について書くことにする。(応挙そのものについては,スゴすぎてなかなかスグには書けんので,また今度。)
ぽた郎はいつも美術館・博物館に行くと,勝って気ままにうろうろするのが好きである。決められた順路に沿って整然と(しかも行儀良く行列に並んで!)進むのはキライ。耐えられん。もちろん,行列に割って入ったり,人混みをワザと逆流したりというようなマナーに反する行為はしないように心掛けてはいる。が,やはり,旧社会主義国の配給のようにもくもくと行列を行進する・・・なんて行為は(少なくとも美しいものを見に行く空間では)耐えられないのだ。しかし,(特に日本の美術館では多く見られる光景ではあるが)人々は絵の掲げられた壁に沿って行儀良く順序良くノロノロと行進を続けている。ま,人それぞれの見方があるから人それぞれでいいのだが。しかし,なぜ皆そろいもそろって同じ行動をするのか? やはり「右向け右」なのか? アンビリーバボー。
で,しょーがないから,混んでる美術館でなんとかイライラせずに愉しむ方法を,ぽた郎は自然のうちに身に付けました。
まず,気に入った絵(できるだけ大きな絵がよいでしょう)を見つけて,その前に陣取る。壁に貼り付いた行列の行進をジャマしないよう,数歩下がって,できれば絵全体が俯瞰できる位置まであとずさる。しばらく(かなり)じっと待つ。以上。すると・・・,分厚く垂れ込めた雲間から突如一筋の光線が差し込み,雲が切れ光のカーテンが広がる・・・かのように,一瞬人の波が途切れ,お目当ての絵が眼前に広がる。暫しの,ほんのわずかな至福の時。静謐な空間。そしてまた雲が閉じ,雑踏の現実に引き戻される。そしてまた光を待つ・・・。こういった徒労を繰り返しているうちに,たとえ同じアングルから眺めているだけでも,さまざまなディテールに気が付く。人の影によって無惨に切り取られた部分も,それが見えない故に,網膜に焼き付いた像を記憶の底から手繰り寄せ,反芻し,補完する。隠された部分がある故に,構図が色彩が質感がより鮮明になる。黙々と古代ローマの奴隷のように列をなして歩む人影を遠目に,ときおり顕現する光を愛でながら,ひとりニマニマと佇む・・・。
以上,人いきれの,雑然とした,どーにも虚しい大人気の展覧会で,なんとかかろうじて正気を保つ方法でした。・・・ってそうでもなきゃ高いカネ払って,やってられーん!てかんじですけどね。やっぱり,閑散とした静かでひんやリした美術館がいいよ〜。せめて,路地裏の迷路のようなせせこましい空間配置はやめてくれ〜!>主催者殿
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March 06, 2004 | やわらかいものとかたいもの
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大学時代の友人,H氏に誘われて,太陽の塔の特別内覧会に行く。太陽の塔の内部はそれはそれで岡本太郎的(としか形容ようがない)で非常にカンドー的であったが,それはそれで,今日は別の話。
太陽の塔のあと,せっかく来たんだからと成り行きでどちらが言い出すともなく,国立民族博物館に入る。特別展のやっていない民博に入るのはもしかして初めてかもしれない。いつもいつも特別展を見終わったあと,駆け足で広大な常設展の会場を駆け巡るのだが,結局今日ものんびりまわり過ぎたせいか,最後の方は駆け足になってしまった。これだけの量と質を誇る博物館は恐らく日本でも他にないであろう。少なくとも,気合いとプライドとコダワリと愛着にかけては,追従をゆるさない,そんな空気がヒシヒシと伝わってくる。
ここ数日(いや,数週間?数カ月?数年?),お決まりの文句ではあるが仕事に追われ,自分では大丈夫,と思っていながら,体も頭もガチガチにこわばり,トゲトゲしいオーラを放っていたのかもしれない。民博のようなやわらかい空間に来ると,そのことにハッと気付く。壁にかかる竹,木,皮,布・・・。そういった,やわらかいものにかこまれると,不思議となごむ。ああ,普段,かたいものばかりを相手にしすぎてるな・・・ということを改めて気が付かせてくれる。
民博の巨大な迷路をめぐりながら,H氏とたわいもない会話を続ける。インドネシアでの輪タクの乗り方について,稲作文明の環境調和性と麦作文明の功罪について,月琴とリュートの関連性について・・・。たまにはこんな会話もしないと,平凡なサラリーマンになっちゃうね。とお互い同じことを言いながら,民博を後にする。
やわらかいものとかたいもの。余裕のない日常生活では,それすらも忘れてしまうのか。