June 22, 2006 | プレイヤーと観客の幸福な関係
C:3

愛のあるブーイングを!」とはmorioさんの明言。プレイヤーの真摯な姿勢は観客を魅了し,観客の厳しい目はプレイヤーを磨く。プレイヤーはまずなによりも,金よりも名声よりも,マスコミ対策や評論家受けではなく,自分自身を全身全霊で表現することが肝要。観客も,単なる結果や形式に拘泥せず,にわか精神論や似非評論家ごっこではなく,プレイヤーが生み出すただただ美しく崇高な行為を全身全霊で感じ取るべし。・・・それはサッカーであってもスケートであっても,音楽であっても同じこと。

二ノ宮友子:「のだめカンタービレ」, 講談社 Kiss KC,1~15巻 (上記画像は15巻より引用)【註1】

些か唐突に私事ではありますが,ぽた郎は学生時代,いわゆるクラシック音楽にどっぷりハマっておりまして,平均して月に3・4回はコンサートに行くほど,音楽に入れ込んでたりしました(嗚呼,昔は若かった・・・(笑))。ところが,あるときからぷっつり行かなくなってしまい,コンサートからも足が遠ざかって現在に至ります。コンサートに行かなくなったのは,クラシックが飽きちゃったというのと,仕事が忙しくて行けなくなったというのもありますが,今思い起こすと,あんまし感動できるコンサート(ライブ)に出会わなくなっちゃったから,という理由もあったのだと思い出しました。そうなのです。クラシックはライヴな感動が少ない。「感動」というと,昨今,メーターの針が振り切れちゃったような感動の押し売りが音楽界だけでなく映画界やスポーツ界でも蔓延ってて誤解を招きそうですが,私が欲しいのは「ブラボー!」というワザとらしい掛け声でも咽ぶような感涙でもなく,「思わず」背筋がゾクっとする身震いとか,「自然に」静かに広まるスタンディングオベーションとかそういうものです。これはもちろんプレイヤーの方にも問題があるかもしれませんが,観客もその責任を大きく負っていると思います。

なにしろ,クラシックのコンサートでは,どの演奏家もどの演奏に対しても判で押したようなお行儀のよい拍手(そして,最後の曲だけはアンコールをちゃっかり要求する盛大な拍手)。その一方で,やれ楽章の途中では拍手をしてはいけないとか,最後の一音の残響が鳴り止むまで拍手してはいけないとか,そういう暗黙のがんじがらめのルールばっかり。思い起こすと,某超有名外国オケが疲れた長旅の後に疲れたしまりのない演奏をしたにもかかわらず拍手喝采で,ヲイヲイ, 一万円も取ってこんな演奏で拍手しちゃっていいのかよ・・・と思ったり,マイナーなオケでマイナーな曲だけど,オケも渾身の演奏でこいつはスゲーぜっ!と思っても,メインじゃないからすぐ拍手が鳴り止んじゃって自分一人で最後まで一生懸命手を叩いてたり・・・,と「お行儀のよい」観客の反応にゲンナリすることがしばしばでした。毎回毎回,一律平等のお行儀のよい拍手と能面のような反応。一方でコンサート会場の帰り道では評論家風を吹かせたスノッブな方々が滔々と分析を披瀝する。そんなに文句があるんならちゃんとブーイングすればいいのに,そんなに絶賛するんならちゃんとスタンディングオベーションしてあげればいいのに・・・。これじゃあ,プレイヤーもやる気でないよね。プレイヤーと観客がせっかく同じ空間にいるのに,あたかもスタジオレコーディングをするような,あるいは自宅でオーディオ鑑賞をするような,そんな寒々しいコンサートはもうたくさん。そういう思いがぽた郎をコンサートから遠ざからせた一因ではないかと思います。

とまあクラシック(とそののコンサート)からすっかり足が遠ざかっていたぽた郎ですが,ご他聞に漏れず「のだめ」を読んで再認識。クラシック再評価です。モーツァルト狂の伯爵をして「ラヴェルって・・・いいな」,と思わず言わしめたように,しばしアンチ・クラシックだったぽた郎をして「クラシックって・・・いいな」,と漏らさずをえない深い感銘。いままで忘れててゴメン・・・,てなカンジ。思い起こせば,数少ないながら,ちゃんと私もシアワセな体験をしてました。休憩前のサブの曲なのに拍手が鳴り止まなくてそこでミニアンコールが始まったり,第一楽章が終わっただけなのに思わずパラパラと拍手が漏れて指揮者が指揮台から降りて丁寧にお辞儀をしたり,怒涛のフィナーレでそのまま怒涛の拍手になだれ込んじゃったり・・・,と稀に熱い「ライブ」に遭遇したこともありまた。あるいは教会で行う小規模アンサンブルの慈善コンサートなどでは,ホンマにプレイヤーがのびのび楽しく弾いていて,ヴァイオリンからヴィオラへ本当ににっこりアイコンタクトをしながら旋律を受け渡したりするのを目撃したことがあります。ヴァイオリンの弦が切れて演奏が一時中断したハプニングの最中,リコーダー奏者がやおら即興曲を披露して曲の途中で大絶賛の拍手があったこともありました。そういう幸福な一体感を経験すると,やっぱりコンサート(ライブ)って病みつきになるのよね~。愚かにもぽた郎はそれをすっかり忘れてました。のだめ,ありがとう。

15巻で描かれたのだめの記念すべき初リサイタルで,奇しくも彼女が発した挨拶は「楽しんで演奏するので,みなさんも頑張って聞いて下サイ」。この言葉こそがこのマンガの本質を,そして人気の秘密を端的に象徴していると言えるでしょう。(そしてそれと見事なまでにコントラストをなすのが,9巻のコンクールでの無残な敗北。コンクールの結果ではなく,自分自身を見失った哀れなのだめ。) 観客を魅了するのは,結果でも点数でも分析でも評論でもなく,自分自身を表現する喜びを全身で表しているひたむきなプレイヤー(演奏者・選手)の姿に他ならないのデス。いい演奏をしているのだめは本当にいきいきと楽しそうで,観客もそれに知らずのうちに引き込まれ魅了されるしかありません(引用図参照)。ほんとうに全ての時間と全ての空間が彼女のために在り,彼女も観客もただただその一瞬の邂逅に感謝するしかない・・・,そういう幸福感。それは所詮,デフォルメが可能なマンガの世界だから,という批判も当然あるでしょうが,やっぱり現実の世界でもそういう幸福なプレイヤーと観客の関係は,確実に存在するのです。

「この際内容はどうでもいい。結果しかない。」なんて情けないこと言うなよ。そんなタワゴトを言ってるプレイヤーを誰が楽しんで観るというの? そんなくだらないことを要求する観客に対して誰が真剣にプレイすると思うの? もっと純粋な目で(耳で)鑑賞しようよ。おらが国が勝つとか負けるとか,そんな瑣末的なことでわけのわかんない一体感を持つより,もっと本当に美しいプレイを,幸福な瞬間を,自分の目で見つけようよ,みんな。(・・・アレ?音楽のハナシをしてたんじゃなかったっけ?(笑))

続きもあります。>>

June 19, 2006 | 神仏習合(其之二):丹生と金剛,ミイラと空海
C:5

イキナリ神仏習合とはちょっと話題が逸れるけど,さっそく閑話休題すんません。浮おじさんのとこで丹生(硫化水銀)のことが話題になったので,そーいえば,と早速気になる本を取り寄せて読んでみました。

松田壽男:「古代の朱」, ちくま学芸文庫, 筑摩書房 (2005).

 原始日本人が使ったアカ色には二種あった。一は水銀系のアカ,つまり硫化水銀 (HgS)。一は鉄系のアカ,すなわち酸化第二鉄(Fe2O2)である。水銀系のアカが(中略)純粋のアカ色を呈するのに,鉄系のアカはベンガラといわれ,やや黒ずんで紫色に近い。この鉄系のアカは古く「そほ」といわれた。古代の日本人は漢字を学んで「赭」という字をあてた。これにたいして水銀系のものは「まそほ」,つまり正真正銘のソホであるとし,「真赭」と表現されている。のちに,おそらく天平時代と推測されるが,鉛系のアカができた。科学的にいうと四酸化鉛(Pb3O4)である。一般に鉛旦(えんたん)といわれた。鉛旦はまた黄旦(こうたん)と書かれているように,赤と黄の中間で,俗にいうミカン色である。
うーん,うっとり(笑)。こういう文章を読んでるとシアワセになりますねぃ〜。これぞ人文科学と自然科学の幸せな結婚。事実,古代のハイテク技術である金属鋳造と当時の知識のアーカイヴである社寺って,実は切っても切り離せない関係なのです。例えば八幡信仰と銅,金屋子神社と鉄,金山彦神と金・・・,そしてその背後には渡来系の技巧集団と武器と戦争と政治が,あるいは大事故と人身御供と祟りと怪談が・・・。このあたりを追ってくと,ホンマに奥が深そうで現実に戻ってこれなくなっちゃうかも。

さて,神仏習合。空海が開いた高野山・金剛峯寺と丹生都比売神社は神仏習合の好例としてあまりにも有名ですが,著者は,この高野山と丹生都比売神社の関係を面白いモノで結びつけています。・・・それは,ミイラ。即身成仏です。

 日本製のミイラにまつわるいちばん大きな謎は,日本の風土が湿潤であって,ミイラの製造にはもっとも適していないという点である。それにもかかわらず,現在までミイラはたくさん残っている。死臘のばあいはいざ知らず,ミイラとなると,何らかの手段が加えられているのにちがいない。そこに私は水銀のもつ防腐作用を考える。
 だいいち,空海が真言宗の本拠と定めた高野山は,全山が水銀地帯である。高野山の壇上,つまり中心地には丹生,高野の両明神の社がある。また空海の墓側にも,墓を護るかのように両明神が祀られている。高野明神は高野山の地主神であるが,丹生明神は後述のように水銀の女神にほかならない。
・・・(中略)・・・
 たんなる高僧としてだけでなく,空海は,学者として知識人として平安朝第一の人物であった。彼は中国に渡って専門の仏教をより深めたことはいうまでもない。その上にいろいろな学問を身につけ,いろいろな新知識を日本にもち帰った。水銀の薬物としての性能を巧みに応用して,中国人が不良長寿の薬として珍重した丹薬の製法も,また水銀を死屍(しし)に注入すれば防腐剤として作用する事実も,みな空海によって日本に輸入されたと考える。(中略)空海自身が弘仁七年(816年)に高野山を開基したのも,水銀に関係あり,と私はにらんでいる。
うーむ。なるほどー,やはりそうだったのか。東大寺大仏殿を建立したときも宇佐八幡神が勧進されたけど(こちらは銅に関係する技術神。このハナシもいずれまた後日書きたいと思います),金剛峯寺の縁起もやはり技術神系の神と深い関連があったのですな・・・。

神様仏様,と今日の我々は「別の宗教」として八方美人的に節操なくお参りしているように見えますが,実はやはり,この二つの宗教は単純に「二つ」とカウントできないほど,根っこのところで深く深く結びついているのです・・・。我々ノ文化ハ斯ク形成サレタリ。誰や?神と仏をムリヤリ離婚させたんは? 蓋し,神仏習合の迷宮は深く愉し。今宵も深い沼にズブズブ・・・。

続きもあります。>>

June 08, 2006 | 神仏習合(其之一):権力ヨリ強要サレタル信仰ニツイテ
C:12

統計上では,日本の宗教人口は二億人を越えると言われている。なんと人口の二倍。つまり,日本に住んでいる多くの人は,神様も仏様も両方拝んでいる。それでなんら不思議に思ってない。こんな奇っ怪な国(あるいは文化)は他にはそうそうない。そんないい加減でテキトーでほほえましい日本が,私は大好きだ。
「神仏習合」とは,一般には明治初年の神仏分離令以前の中世の宗教形態を指すが,そもそも「習合していた」という表現はいったん強制的に「分離された」後の状態である現代の我々から見た形態であって,当時の当事者(民衆,僧侶,神職)たちの多くは,「習合している」ことすら無自覚であったであろう。現代でもそんな無自覚で無意識的な,そして知らずのうちに権力の暴力的な手からするりと軽やかにすり抜ける,慎ましくも逞しい民衆の息づかいが,確実に残っている。そんな路地裏の小さな日本が,私は大好きだ。

安丸 良夫:神々の明治維新—神仏分離と廃仏毀釈, 岩波新書 (1979).

・・・神社改めは,明治三年ごろから各地でおこなわれるようになったらしい。氏神と村との結びつきは,村の成立そのものに由来する長い伝統をもっていたが,それまで,氏神は一村に一社とはかぎらなかったし,氏神の神体が仏像であるばあいや,氏神というより氏寺といったほうがふさわしいものも少なくなかった。さらに村の氏神(産土<うぶすな>社)のほかに,各家や同族団に氏の神があるばあいもあり,それ以外にも多くの小祠もみられた。
 こうした多様な神仏関係から,国家によって神社祭祀が体系化されたとき,村の氏神(産土社)だけが選びだされ,しかも,氏寺や仏像を排して,一村一社の神道式の氏神の成立が目標とされたのである。(中略)こうして,村々に祀られていた多様な神仏のなかから,産土神だけが浮上してきて他を抑え,いま私たちが村や町で見るような氏神が成立した。私たちが神社の様式としてごく自然に思いうかべてしまう鳥居,社殿,神体(鏡)や礼拝の様式なども,その大部分は,こうした国家の政策を背景として成立したものであった
 ・・・(中略)・・・
 廃藩置県によって集権国家樹立の基礎を固めた明治政府は,四年以降,近代国家体制樹立のためのさまざまの政策を推進した。伊勢神宮と皇居の神殿を頂点とするあらたな祭祀体系は,一見すれば政教一致という古代的風貌をもっているが,そのじつ,あらたに樹立されるべき近代国家体制の担い手を求めて国民の内面性を国家がからめとり,国家が制定する規範と秩序にむけて人々の内発性を調達しようとする壮大な企図の一部だった。そして,それは,復古という幻想を伴っていたとはいえ,民衆の精神生活の実態からみれば,なんらの復古でも伝統的なものでもなく,民衆の精神生活への尊大な無理解の上に強行された,新たな宗教体系の強制であった。  (下線部はぽた郎による)
引用長文にて恐縮至極。しかし,現在我々が「日本の古き良き伝統」と呼んでいる神道および神社が,明治黎明期に相当な強権と混乱を以て「人工的に」巧妙に歴史を塗り替えた,ということに自覚的な日本人は少ない。もちろん,明治以前にも神道なるものは存在したが,(実はここが重要な点であるが)それまで平安・鎌倉時代から連綿と続いていた「伝統的な」神道(例えば吉田神道,両部神道,山王神道など)は明治初期に完全に断絶してしまい,江戸末期に突如として興った「新興宗教的な」神道(本居宣長,平田篤胤を源とする国学→国家神道)に完全に駆逐された,という事実を知っている日本人も非常に少ない。

某国の某総理大臣が某神社に私人だか公人だかよくわからない状態で参拝を強行し,やれ愛国心だの古き良き伝統だのを喧伝している。ま,それぞれ信念なり戦略なりはおありだろうから,ここでは政治的観点からはとやかく言わないが,上記の明治期の宗教史上あと戻りできない大きな断絶の文脈の上でその行為を俯瞰すると,甚だ胡散臭くかつ滑稽な行為としてしか捉えることができない。どうやらこの国では,総理大臣や官房長官が参拝するピカピカの神社にお参りしないと国を愛すことにはならないそうだ。しかし,それより,路地裏や辻にひっそりと佇む神や仏(あるいはそれすらも判じ得ない名も無きもの)に,私は愛着を感じぜずにおれない。それではこの国や文化を愛することにはならないのだろうか?

(神仏習合の深い森は,広大かつ豊穣で,興味が尽きない。これからしばらく,シリーズで続けようかと思います。)

続きもあります。>>