January 23, 2006 | 公正な報道とは。
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三日連続,政治的な話題で恐縮至極。深夜の帰宅で深夜の夕食を食べながらネットニュースを見てたいら,堀江氏が逮捕されていた。ま,これについては多くの人が多くのことを語っているので(語るであろうので),ここでは多くは語るまい。ただ,ライブドア社の姿勢について,おそらくたぶん誰も指摘してくれないと思うので,とりあえず一言。

自社のトップが逮捕された報道機関というのはなかなかお目にかかれるものではないが,ライブドアは自社リソースのニュースの中で,自社の社長を指してちゃんと「堀江容疑者」と呼んでいた。当然と言えば当然だが,報道の公平性からすれば,これは立派。明日になったらニュースの洪水で隠れてしまうだろうが,その点はちゃんと評価してあげたい。ライブドアもこういう風に公平で公正な態度を地道に積み重ねて行けば,そのうち汚名返上することもあるだろう。それが「信用」というものだ。信用は,金では買えない。
 

January 22, 2006 | 情緒と合理,安心と安全
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昨日に続いて,もひとつオヤヂくさい説教を垂れてもよかですか。今,新聞やテレビをにぎわせているもう一つの「大事件」,牛肉輸入問題です。これについても,まあ一億総評論家状態で数多の意見が出されてますが,やはり,誰もことの本質を言い当ててない。そんな気がします。唯一,それを言っているのは,しかも以前から予見しているのは,伏木亨の『人間は脳で食べている』註1)くらいなんじゃないでしょうか? 結局のところ,日本政府もマスコミも,それから肉食大好きの国民も,首尾一貫としていません。場当たり的に右往左往。自分たちが何を求めているのか,相手にどう求めて行けばいいのか,わかってません。そりゃあ国際問題,良くも悪くも政治的駆け引きもあるでしょう。でも,首尾一貫とした戦略がなければ,結局は相手の思うつぼ。他の外交問題も含め,戦略なさすぎ。とほほ状態です。

 今回,何故アメリカがこうもアッサリ非を認め,日本政府に謝罪をし,再び禁輸を呑んだのか,残念ながらあまり多くのマスメディアはそれを分析してくれていません。彼らが非を認めたのは,安全でないことがわかったからという科学的根拠に基づくものではありません。ましてや,安心でないことがわかったからという情緒的問題でも決してありません。単に,自らの落ち度で契約違反があったから,それだけなのです。これは欧米の契約社会(その精神的立脚は「聖書」にまで遡ります)を考えれば,容易にわかることです。情緒よりも合理,合理よりも契約。今回,それをちゃんとわかってるマスコミや評論家,そして消費者はどれほどいるでしょうか? 残念ながら,聞こえてくる意見は,「それみたことか,やっぱりアメリカ産はあぶない」「アメリカは信用できない」などなど・・・。どれも全く的はずれな議論です。

 冷静に考えれば,すぐわかります。今回のアメリカ側のミスが発覚したことにより,日本に輸入されるアメリカ産牛肉の安全性は少しも下がったり上がったりした訳ではありません。問題の部位はアメリカ国内や他の国へは「安全」として流通しているものなのです。科学的な根拠に立脚すれば,20ヶ月齢以下の若い牛であれば,危険とされる部位(背骨)などを習慣的に食べても,人間が発症した例は存在せず,もしあったとしてもその確率は飛行機事故よりも自動車事故よりも喫煙で肺ガンになる確率よりも桁違いに低いのです。今回の混入問題発覚により,その発症確率が上がったり下がったりするわけではありません。アメリカは確かに日本に謝りました。何を? それは安全性の低下に対してではありません。日本向けに輸入しないと契約した危険(と日本が指定している脊柱)部位を混入させてしまったという,己の契約不履行を謝ったのです。ということは,その契約が再び結べる状態になったのなら,更に前回よりも語気を強めて,輸入再開を強く求めて来るであろうことは容易に予想できます。その時,日本はまた情緒的に応酬するのでしょうか? そうなったら国際世論として(国内世論ではありません),どちらに軍配が上がるでしょうか? 勝負は目に見えてます。

 もちろん,情緒的な安心感,というものを,私はバッサリ切り捨てたいとも思いません。前述書の著者の言うとおり,人間の感じるおいしさは今や五感だけでなく情報から得るところも大なのですから,消費者行動として,それを全く無視するのもナンセンスだと思いますし,私自身も「情緒」という文化は大事にしたいと思っています。では,何が問題なのでしょうか? それは政府がちゃんとアメリカや他国に説明責任を行っていないからです。日本文化は風土的歴史的に他文化と比べ清潔感や清浄感をことさら重視する傾向にあること,それが消費や経済にまで多大な影響を与えること,など,相手の文化や価値観に即した翻訳を行って,自国の立場を相手に説明をしなければならないのです(例えば,情緒感や風評はマーケティング上重要なファクターなので,彼ら(契約型資本主義経済)に取っても重大問題であるという認識は十分共有化できるはず)。また,相手の価値観を分析して,次はどう行動するかどう反応するかを予測しなければならないのです。そういった説明の努力を怠ってる。まるで戦没者祈祷問題で揉めてるどこかの国の首相みたいですね(あ,自分の国のだった(笑))。同様に政府は,国民に対してもきちんとした説明責任を履行していません。十分な科学的根拠に立脚しない全頭検査をするということは,それだけ理由が不明瞭の予算をとるわけで,そのぶん他の予算が減らされるわけです。例えば,鳥インフルエンザ対策とかハンセン氏病補償問題とか出産費用無料化とか。それら大きな枠組みの中でどれを優先的に対処するべきか,というのが本来政治家や官僚の行うべき仕事ですが,彼らは目先の選挙と地元の利益ばかりを気にしたり,縦割り行政で既得権競争に終始したりと,大局的な視野に立って戦略を練るにはほど遠い状態です。これじゃあ国民が納得するような政策はでないのも当然。マスコミもマスコミで,いちばんタチが悪いのは,情緒と理論を場当たり的に都合良く使い分け,耳あたりのよいが首尾一貫しない論調で消費者の不安を煽る。冷静で理論的な分析はテレビ受けしないからあまりやらない。そういった政府やマスコミの首尾一貫のなさが,この問題をここまで大きくしている根本原因なのではないでしょうか?・・・そして,そういった政府やマスコミを,我々消費者が支えているのです,彼らに踊らせられながら。

 では,消費者はどのような態度に出ればよいでしょうか? 重要なのは情報に煽動されて,惑わされないことです。己の立場を容易に豹変させないことだと私は思います。もしあなたが,どうしても牛肉をたくさん食べたいという快楽を追求したいのであれば,自己の生命に甚大な影響を与える確率でない限り,それを受容して摂取するのも一つの手でしょう(アメリカ人が牛肉を食べるように。喫煙者が煙草を吸うように)。もしあなたが,どうしても情緒的に感覚的に安心して牛肉を食べることができないと思うのであれば,情報に一喜一憂せず,長期的に牛肉を食べる機会を大きく減らしてみたりするのもよいかもしれません。(余談ですが,現代人は肉食依存症で,食べなくてもよいものを食べて栄養素を過剰に摂取しすぎです。それはまた別の話題として,いずれ書きたいと思います。)あなたが今から食べようとしている牛肉は,あなたが本当に食べたいと思っているものでしょうか? 五感としておいしいと感じているものなのでしょうか? あなたは情報を食べていませんか? 情報に食べさせられていませんか? 食の「安全」は政府や業者に厳しく追及しなければいけないことですが,「安心」は誰かに決めてもらうことではありません。そのことが,我々に一番足りない情報なのではないでしょうか。

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January 22, 2006 | 市場とは誰のものか?
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自分は株はやらないし,株のことを語るのもなんだかオヤヂ臭い(と思われそーな)んであまり好きじゃないのよ。しかし,なんでしょうかね,この昨今の狂乱は? 何かが狂ってないでしょーかね? テレビとかインターネットで百家争鳴の議論の中,誰もことの本質を捉えていないのは何ででしょうかね?(いや恐らく良心的な研究者などはそう言ってるんだと思いますが,残念ながらマスメディアにまでは声が届かないのかもしらんな・・・。)というわけで,マスメディア経由の発言ではなかなか掌を打つような発言が見あたらないので,我慢できずに自分で書いてみることにしました。経済の専門でもなんでもないシロート発言なんですが。やっぱりオヤヂの説教臭くなってしまいますが。

先日の日経新聞の社説(ああ,オヤヂ臭い!(笑))にこう書かれてありました。

・・・かつて株式市場の主役だった金融機関や事業会社は株価変動やその影響のクッションの役割を果たしていた。持ち合い解消で主役になった個人や外国人の投資行動は,上げ相場で買い,下げ相場で売る,順バリに傾きがちで,目先の材料に過剰反応する傾向が強く,影響は家計に直接及ぶ。純投資家主体の市場になったことで,株価形成は中長期的には投資価値を反映したものに近づいた半面(ママ),短期的には不安定性を増し実体経済への影響の表れ方も変わった。   日本経済新聞 2006年1月19日(木) 第2面 社説
このへんが,とりあえず現時点で一番冷静で的を射た分析なんじゃないでしょうかね。そこからもう一歩踏み込んで発言して欲しかったですが,日経さんも社説じゃ責任重いしね・・・。

さて,最近では小学生などにも株の勉強をさせると聞きます。正しい株の知識を身につけるのであれば,それはそれで構わないでしょう。しかし,「正しい株」「正しい株式市場」とはいったい何でしょうかね? 教える大人も,教わる小学生も,日本全体が,いや地球全体が,みんなそのことを忘れてちゃってはいませんかね? 株式市場とは個人が儲けるための場ではないのですよ。市場とは社会全体を維持し育成するためのものでしょーが。「持てる人」は持てる資金を株として,ある会社に投資し,場合によっては経営に参画し,会社を養う・育てる,という義務と責任(とそれゆえのリスクと報酬)があるわけです。これは個人でも法人でも同じ。そうやって,社会全体に資本を血液のように循環させるのが,株という手段ではなかったんですかね? 

本来,株ってもんはそれを保有し,その配当で利益を受けるもんでしょ。それが,最近ではインターネットという武器を手にしたこととも相まって,短期的な売買を繰り返し,その差益で利潤を稼ぐデイトレーダーみたいなのばっかりになっちゃったようですね。バブル期もそういう輩が多かったですが,今はそれがさらに社会全体に薄く広く散じているような気がします。彼らは,社会全体を見渡して,ある会社を育てようとか,ある産業を育成しようとか,そういう大義名分がないよね。愛がない。ほんまに自分さえ儲かりゃいい,ってカンジでなりふり構わない。それでいいんですか,みなさん? 一億,十億とカネを持ってる人は(それと,たとえ数万でも市場に投資してる人は),そのカネはもはやあなた個人だけのカネではないんですよ。社会責任のある公の(パブリックな)カネなんですよ。株はリセット可能なRPGのバーチャル通貨じゃないんですよ。株とは,モノもヒトも技術も頭脳も,そういった実体が伴う重〜いものを背負った証書なんですよ。そのこと,わかってるんでしょうかね?

いや,結果として儲けたりついでに儲けたりするのは構わないんですけどね。儲けがなければ投資が持続しないから。しかし,みんながみんな利己的に儲けに走ったら,社会は破綻しちゃいますよ(んで,今回のような状況になるわけです)。もちろん,私がこんな小言を言うのも,それが古典的資本主義観の大義名分に過ぎないということは十分わかってるんですがね。でも,大義名分さえ忘れ去られてしまうような,この昨今のタガが外れた傍若無人な拝金狂騒曲はいったい何なんでしょうかね? お金持ちになりたい,お金稼ぎたい,それもまあOK。でもキミたち,お金持ちになって,それからどうするの? その金をどう使うの? どう社会に還元するの? それをまず小学生に教えなさい。それから,社会やヒトに興味のないカネにしか興味のないデイトレーダーたちにも。そうでないと,日本が,地球が滅んじゃうよ。なんとかしてよ。

ほんまにもー,オヂさんは怒ってるんだから。この現状を引き起こしたヒトたちに。それからこの現状の本質を見ようとしないヒトたちに。問題の本質は,ホリエモンとか東証だけじゃないのよ。みんな,気が付いてよ。

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January 04, 2006 | 日記を毎日書く人はエライ。
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明けまして(今更ながら)おめでとうございます。今更ながらの新年のご挨拶でございます。世の中には三日坊主という言葉もございますが,その三日間すら日記を書かなかったぽた郎は,さしずめマイナス三日坊主ということでしょうか(笑)。てゆうか,遡ってみたら,なんと8月以来この「形而上日記」を書いてませんでした。ありゃ〜。(x_x)

日記(ブログ)を書けてない,というのは,私にとって決して日記を書くことに飽きたとか倦んだというわけでは決してないのです。書きたいことは山ほどあるのですが,兎にも角にも時間がナイ,暇がナイ。日々あれこれ考え,あれこれ書きたいと思い,日々何かに追われ,流れて行く・・・。そんな繰り返しです。当初は書けない日記が流れて行くのにイライラしたり悶々としたりして,いっそのこと全部やめや〜っ!とも思ったりしましたが,最近は,ま,書けないのもしゃーない。細々とたまにポツポツと書くのもええやろ,それも定めか・・・とも思ってきました。

日記が書けないのは,何かに追われてるとき。何か,とはたいてい期日や責任が重くのしかかった差し迫った仕事。こういうときって,純粋に書く時間はあっても,精神的に書けないんですよね,一行も。以前は,〆切終わってホッと一息,さて日記でも書くか,という時間もあったのですが,去年あたりから,〆切連峰の峠の連続で,ホッと一息つく余裕もナシ。一息ついたらついたで,ほんまにボヘ〜っと放心モードで日記も書く余裕ナシ。そんな一年でした。多分今年もそう。とはいえ,このまま日記をフェードアウトしてしまうのも,なんか仕事人間になってしまいそうでイヤなんで,そうならないための最後の心の砦として,この日記も開店休業中ながら閉店せず,なんとか精神的安定を保っている今日この頃デス。

唐突ですが話は少々変わりまして,昔,ぽた郎が小学生のころ,アンネ・フランクの日記とかユンボギの日記とかを学校で読まされたわけですが,それを読んで目からウロコ,カンドーしました。がびーん。「日記って毎日書かなくてもいいのか・・・。」・・・そうです。日記は書けるときでいいのです。書けないときは書かなくてもいいのです。ぽた郎は幼いながらも,天啓のようにそう理解しました(笑)。それ以来,ぽた郎は日記を毎日続けて書くことが出来なくなってしまいましたとさ・・・。(ヲイ,それがオチかいっ)

ま,そんなわけで,これからも,ダメダメ低空飛行ながら,ボチボチポツポツと気まぐれに書き続けて行きたいと思います。みなさま,こんな軟弱な日記ですが,もしよければ,今後ともよろしくお願い致します・・・。<(_._)>