November 24, 2004 | ブラッドベリご健在。
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東京出張の間,ぽっかり時間調整の時間ができちゃったので,近くの古本屋でほんのちょとだけ時間を潰すことに。ふらふらと店内を彷徨ってると,またまたワタシを呼ぶ本が・・・。で,手に取ってすかさずレジに連れてきました。たまたまもりおさんとこで「華氏911」のハナシから「華氏451」のハナシになり,ブラッドベリのことが頭の隅の残ってたので。で,今回,古本屋でこの本と目があっちゃったわけです。まさに It jumped into my eyes. というやつですね。

レイ・ブラッドベリ:「塵よりよみがえり」,河出書房新社 (2001).

ブラッドベリって,もう過去のヒトとか,もうだいぶ昔に死んじゃったヒトとか(ひどい!ぽた子さん・・・)思われてるフシもありますが,まだまだ立派にご健在ですのよ〜。みなさん,ご存じでした・・・? 1996年に書いた「バビロン行きの夜行列車」も詩的にブッ飛んでてカッコよかったけど,今回の2000年に書いた「塵より・・・」も気になってたところ(でも新刊を買わけでもないのがワタシの軟弱なところ)。改めて読むと,こちらもや〜,なかなかです。ブラッドベリの詩的で修辞学的な表現は晩年になってますます磨きがかかってますね・・・。なんかもう悟りを開いちゃってるような究極の境地です。

ところで,今回のブラッドベリの作品は幽霊ものファンタジーで,表紙はチャールズ・アダムズ(アダムズファミリーの原作者)です。ということは,ブラッドベリ自身も当然それを念頭においてるでしょうし,大半のアメリカ人はおどろおどろしくもコミカルなアノ絵を思い浮かべながらこの作品を読み進めるんだと思います。が,しかし。私は読んでる最中,ナゼかずっーと萩尾望都の絵を頭に思い浮べていました。この作品を読んでると,「ポーの一族」の原作がまるでブラッドベリだったかのような錯覚すら覚えます。萩尾がブラッドベリの原作をベースに描いてるのは「ウは宇宙船のウ」だけなんですが,私の頭の中ではブラッベリ=萩尾の絵というのが,なーんか当然の公式のように棲み着いてます。でもそう思ってる日本人はたぶんワタシだけではないはずだ! ねえ,そう思いませんか? 

【12月13日一部語句修正】

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November 21, 2004 | Now Playing...
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morioさんとこのブログで見かけて以来,ウチにもずっと欲しかった「Now Playng」ですが,今日ようやく重い腰を上げてインストールしてみました。

■ Now Playing(なうぷれいん) http://www.big.or.jp/~crane/soft/nowPlaying/

まだまだ自分なりのカスタマイズができてませんのでブログのデザイン統一感が出てませんが,とりあえずペタ。morioさん,ありがと〜。:-)

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November 19, 2004 | プルートウ,あるいは良質なパロディについて
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発売時の興奮にすっかり乗り遅れちゃいましたが,遅まきながら書いてみます。こういうのは読んでからしばらくたって冷静さを取り戻し,思考が沈澱するまで待つのが肝心ですからね・・・。

浦沢直樹:「プルートウ(豪華版)」,第1巻,小学館ビッグコミックスペシャル

「パロディ」,とは現代(特にTV文化)においては,下品で攻撃的な嘲笑や下世話な諧謔と同じ意味のものとして貶められているが,語源的にはギリシア喜劇まで遡ると,他者の作品を引用し別の文脈に置換することによりオリジナルの作品に敬意をこめた批判を放つ,慎み深い行為であることにほかならない。バッハはヴィヴァルディやブクステフーデのパロディをせっせと書いていたし,ジェームス・ジョイスの「ユリシーズ」はそのままズバリ,ホメロスのパロディとして有名だし,ああそういえば,この前買った Burton & Ozone の「クープランの墓」も素晴らしくよくできたパロディだと言えるだろう・・・。

オリジナルの手塚作品では「地上最大のロボット」という副題が示すように,単にロボット同士の戦いという,子供がわくわくするエンターテイメント的要素が強い(それでも,お茶の水博士がアトムに向かって盛んに説く「非戦」の精神は手塚ならではの哲学で心打たれるものがあるが)。それに対し浦沢作品では,エンターテイメント的戦闘シーンはまったく皆無であり,正体を現さない凶悪犯人による犯行動機不明の連続殺人事件・・・といった社会派ドラマの性格を帯びてくる。虚しく殺されていくロボットたちもそれぞれ人生があり家族があり仲間があり,人間以上に人間らしい。いや,人間でないからこそ,人間のあるべき理想的な姿を投影できるのかも知れない。彼らは,その卓越した能力を自慢したり吹聴したりすることなく,極めて慎ましく穏やかに人間社会に溶け込んでいる。これまでの浦沢作品に登場する,優しく強く,そして憂いと迷いのあるヒーロー(もしくはアンチヒーロー)を,オリジナル作品の設定を借りながら,まさしく理想的に具現していると言えるだろう。これだけでも浦沢の力量に舌を巻かずにはいられない。そして,浦沢的迷宮ストーリー。読者はこの連続殺人事件の犯人や結末を知っているはずなのに,いや,知っているはずだからこそ,浦沢作品の幻惑に引き込まれる。自分の記憶していた過去(手塚作品)は果たして本物か・・・?(果たして原作通りストーリーが進むのか・・・?) 「過去の記憶」が鮮やかであればあるほど,未来の予定調和が確信できない。これは浦沢作品の主人公(アトムではないところがまた巧妙)が,正確であるはずの自らの人工知能の記憶を疑うことと奇妙に一致している。主人公の迷いは読者の困惑と同時進行で進み,オリジナルの物語に二重三重の螺旋の迷宮として絡みつく。ちなみに単行本以降の雑誌連載を追跡すると,連続殺人が進むにつれ,犯行が「世界一のロボットは誰か?」といった単なる牧歌的動機ではなく,政治的軍事的様相を呈して来るところが浦沢作品ならでは。イラク戦争や武器輸出三原則などのアナロジーも垣間見え,巧妙かつ痛烈な現代社会批判として読み取ることも可能である。読者は古き良き60年代に思いを馳せつつ,昭和が夢見た輝かしい21世紀を懐かしみつつ,現在今存在する混迷の21世紀の現実を受け入れつつ,この物語の舞台である(年代が特定されていない)遠い未来を夢想する・・・。こういった,オリジナル作品を核とした重層的な物語世界の構築こそが,良質なパロディの真骨頂にほかならない。浦沢直樹は今や誰もが挑戦したくて挑戦できなかった偉大な巨人=手塚治虫に対し,まさに真剣勝負でこの対決を挑んでいる。浦沢以外に誰がこの仕事をできるだろう?

良質なパロディとは,オマージュよりも親密で,アレンジよりも愛が深く,リメイクよりも慎み深い。そのことを改めて思い出す秀逸な作品が久々に登場した。物語はまだ始まったばかりであるが,この作品が今世紀を代表する芸術作品として数えられるであろうことは想像に難くない。今後の展開が待ち通しい。

November 16, 2004 | ジャズ四様
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先週の日曜日,久々に梅田のタワーレコードに行ってドカ買いをしてきました。前回CDを買ったのは4月のバッハ全集BOXだったから,実に7ヶ月も買わなかったのか〜。ま,前回買った枚数が多かったし,なにより仕事に追われそれどころじゃなかったという感じもあるけど,こんなにレコード屋にご無沙汰してたのは学生時代から数えても初めてかも。まったく文化的な生活してませんな〜。やはり心が乾く。No music, No Life だぜよ。
で,今回,いくつかテキトーにフィーリング買いをしてきましたが,そのなかからジャズもの感想をいくつか。

■Gary Burton and Makoto Ozone: Virtuosi, Concord Jazz, CCD-2105-2
一曲目がラヴェルの「クープランの墓」だったんで,思わず買ってしまいました。出だしはフツーのクープランの墓。でもよく聞くとピアノとヴィヴラフォンのどユニゾン。うーん,こりゃすごい。で,しばらく聞いてると・・・,おお〜っ! いつのまにかヴィヴラフォンのアドリブ〜。ラヴェルでスイングしてるよ〜。すげーすげー。かっちょいい〜。・・・てな感じでハマりました。「クープランの墓」はぽた郎が高校生のときピアノの発表会(笑)で弾いた曲なんで個人的思い入れがむちゃある曲なのですが,それを差し引いても,鮮やか!の一言。ゲイリー・バートンがすばらしいのは当然といえば当然ですが,小曽根さん,凄いです。脱帽。

■Kiyoshi Kitagawa, Kenny Barron & Brian Blade: ancestry, 澤野工房, AS042
日本人演奏家だから・・・,というわけではなく,単純にオマケのDVDに惹かれて買いました。なんてミーハーな選択・・・。でもこういうのって,得てして大当たりだったりします(オマケのDVDはぜんぜん大したことなかったけど)。リーダーはベースの北川潔でそれなりにカッコいいですが,歳の功というかなんというか,ケニー・バロン(p)が密かに目立って渋い! ところでスタンダードなNYジャズっちゅーのは澤野工房にしては珍しいのでは?

■Giovanni Mirabassi & Andrej Jagodzinski Trio, 澤野工房, DR003
ジョバンニ・ミラバッシが来日! しかーし。二日とも出張でライブには行けん・・・ま,いつものことだけど(T_T)。というわけで,ヤケ買いです。ミラバッシ目当てで買いましたが,あにはからんや,アコーデオンのアンドレイ・ヤゴジンスキーが凄い! ウチにはバンドオンのCDは増えてきたけど(ご多分に漏れずピアソラが多いですが),アコーデオンのいい演奏はないかの〜,とつねづね思ってたところです。これもテキトーなフィーリング買いの賜物。大当たりですわ〜。

■Marc-Andre Hamelin(piano): Nikolai Kapustin Piano Music, Hyperion, CDA67433
これは厳密にいえばJAZZではないかな。敢えて言えば「現代音楽」。でも一聴してこれはジャズです。二聴三聴してもやっぱりジャズです。が,しかし。スイングっぽくアドリブっぽく演奏されてますが,全部譜面に書いてあるそーです。しかもソナタ形式,バロック組曲形式,変奏曲形式・・・,手法は完璧にクラシック。こんな作曲家いたんですねー。曲は古き良きラグタイム時代のジャズ(+どことなくフランス印象派風)で,なんか微笑ましく口元が緩む懐かしさがあります。ハイ。ちなみに「Hyperion」というレーベルは古楽のレパートリーが充実してるぽた郎好みの秀逸なマイナーレーベルです。ま,いわゆるクラシック畑ですな。気が付かずに買ってきましたが,この組み合わせもなかなか。

というわけで,久々に音楽漬けで楽しんでる毎日です。うーん,いいね〜,音楽(と酒(と自転車))のある生活は。
今回はジャズのほかにもいろいろ買いましたが,ま,それは時間があればまた後日(と言ってちゃんと書いたためしはないが・・・(^^; )。

November 10, 2004 | ただいま。
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ひさびさに日記を再開しようと思う。今回はちょっと村上春樹風(?)。

仕事関係の宴会のあと,若い連中だけの二次会に誘われた。酒を自粛中,という理由で陽気な誘い断り,ぼくはひとり梅田の雑踏に取り残された。以前のぼくなら踵を返して行きつけのバーに向かっただろうし,最近のぼくならそのまま職場に直行し仕事を続けるところだろう。しかし,今日ははやく自宅に帰って頭と体を休ませたい気分だった。駅へ向かう途中,夜遅くまで開いている本屋にふらふらと引き寄せられた。現代新書のデザインが変わっている。こんなことも知らなかったなんて。ぼくは導かれるままにその本を手に取りレジへ向かった。本の名前は,「ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論」。電車の中でぼくはそっと本を開いた。至福が広がる。抽象的論理数学の世界がなぜかほっとする。ぼくはこの数週間(いや,数カ月?数年?)本当に「生きて」いたんだろうか? 目の前にある現実をたんたんとこなし,思考し,行動する(してきたはずだ)。あれは確かに現実なのに,ぼくはどこにいてどこからぼくを眺めていたのだろう? 現実ばかり見ていると現実を忘れてしまう。たまには立ち止まって,形而上の世界に分け入らなくては・・・。開いた本から伝わる不思議な温もりを感じながら,ぼくの体は血の気を取り戻し,ようやく久々に地に足がついたような気がした。「ぼく」がぼくに戻ってきた。