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July 24, 2004 | モートン・フェルドマンをご存じですか?
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クソ暑い時期,音楽を聞くこと自体がうっとうしくもなる季節でもありますが,この時期ぽた郎が聴く音楽は,やはり,納涼の音楽です。で,何を以て「涼しい」音楽とするか。ぽた郎的答えのひとつとしては,これ,モートン・フェルドマンであります。
音楽史的に申しますと,モートン・フェルドマンは「20世紀後半に活躍した作曲家。ジョン・ケージと親交が深かった。」とくらいにしかたぶん書かれないマイナー作曲家だと思います。ま,いまいち有名になれなかった理由もわからんでもないですが。でもそれこそがこのヒトの魅力かと思います。ぽた郎的偏見でひとことで表現すれば,「静寂の音楽家」。これに尽きると思います。
もちろん,若い頃のフェルドマンは重厚長大なオーケストラ作品を書いたりしてますが,晩年はケージやミニマル・ミュージックの受けてか受けざるか,どんどん編成を落とし音量を落とし,ついには記譜上で pp (ピアニシモ)や ppp (ピアニシッシモ)のみを指示するようになります。ちょうどミニマル・ミュージックの全盛時代,ライヒ,ライリー,グラスといったいわゆるミニマル御三家が初期ミニマルの単純さからどんどん乖離し豊穣で能弁なミニマルに発展していく時期,フェルドマンはそれを意識してかせざるか,その対局を行く孤高の作曲家として静かにひっそりとその作品群を発表していきます。フェルドマンを「ミニマル・ミュージック」に分類する評論家はあまり多くありませんが,語義的な意味(「極小音楽」)としては,まさにフェルドマンはミニマルのミニマル的存在といっても過言ではないでしょう。静寂の,結晶のように凝縮された,禁欲的な音列を聴くと,そう思わざるを得ません。少なくとも,ぽた郎はそう思います。
フェルドマンの(特に晩年の)曲は一聴して「退屈」です。ひたすらピアニシモ。メロディーなし,リズムなし,抑揚なし。似たようなフレーズが静かに,延々と繰り返され,しかし気が付くとちょっとずつ変わっていく。無限に続く冗長な音楽・・・,いや,音楽とさえも言えるかどうか。その点で,サティの「家具の音楽」の正統な後継者とも言えるかもしれません。なにものも表現しない,絶対的抽象的音楽。フェルドマンの具現したい音楽はそういった音楽の極北へのひとつの解答だったのかもしれません(そして,それこそが,20世紀の現代音楽の作曲家が目指したものだったのでしょうが)。あるいは,静寂の音楽。「音楽」という存在を自己否定してしまいそうなギリギリの表現,否,非表現。鉱物的・無機質的な煌めきとそれにも関わらず感じる静かな温もりは,まさに20世紀の(全てのジャンルに襲った)自己否定の混迷への,最後の肯定的な答えだったのだと,さらに混迷の21世紀に突入してしまった今からは,そう思えます。
というわけで,フェルドマンのCDはできるだけ集めてるぽた郎ですが,中でもお気に入りなのが,Hat Hut Records のシリーズ。特に Eberhard Blum が吹くフルートのシリーズはおススメです。写真,上から"Why patterns?" and " Crippled Symmetry" (2枚組),写真左下 "For Philip Guston" (4枚組),写真右下 "For Christian Wolff" (3枚組)。今や懐かしい「未来的」なタイポグラフィの箱ジャケも魅力的です。乾いた,凍れる音楽。断片的な無機質なフルート音色と鉱物のようなピアノ・チェレスタの響き。夏の暑い中,涼しく爽やかに響きます。 一曲あたり,CD2〜4枚。無限に循環し有機的に変遷する終わりのない音楽。おやすみの前に最適な音楽です(そのままかけっぱなしで寝ないよーに注意)。みなさまも,この夏,フェルドマンを一曲,いかがですか〜?
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July 18, 2004 | アフリカン・ビート!
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最近はヒマラヤ山脈並みの仕事の峠もようやく越え,土日は比較的ゆっくり過ごせるようになりました。昨日今日も昼間でたっぷり寝て(ぽた子さんは用事があって朝早く出かけていく),遅い朝昼ゴハンを食べ,ここ1・2週間たまってたブログを後追いで完成させる。夕方からおもむろに仕事をし(ちょっとだけ),夜はぽた子さんと一緒にゴハンを食べる。ああ〜,よい休日だねぃ〜。
ぽた子さんが出かけちゃった休日の昼間,ぽた郎はここぞとばかり大音響でオーディオをかけるのですが,さて今日は何をかけるか。ちょっと前まではバッハがマイブームだったけど,こうアヂいと重厚なバッハは(とくにオルガン曲などは)我慢大会以外のなにものでもないです。やっぱしバッハは冬の音楽だね〜(と著しく偏見)。
というわけで,ここ数日マイブームなのが,コレ。アフリカン・ミュージックです。写真はぽた郎が学生時代に集めたもの(の一部)。夏の暑い昼間,大音響でアフリカン・ドラムを鳴らすとなぜか涼しく爽やか〜。クーラーなしでも自然の清涼感が実感できます。みなさまもゼヒどーぞ。
ただし,ご近所迷惑には十分注意を。(^^)
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July 11, 2004 | みなさん,投票行きましたか?
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数日前,読売巨人軍の渡辺オーナー(ナベツネ)が「無礼なことを言うな。分をわきまえないといかん。たかが選手が」との暴言を吐いたそうですが,これは,日本プロ野球選手会の古田会長の「オーナーたちと話をしたいという気持ちはある。」という発言を受けてのコメント。ナベツネの暴言は今に始まったことではないですが,今回のは今までで最も低レベルで最悪です。彼は新聞社の社主という立場にありながら,日本国憲法さえまともに読んだことないらしいですね。
第二十八条【労働者の団結権・団体交渉権その他団体行動権】まあ彼らに今さら法律論や憲法論を諭してももはや意味はないかと思いますが,今回のナベツネの暴言は,彼の一連の行動(説明責任の欠如,意思決定の密室化)を端的に裏付けているといえるでしょう。彼にとっては選手もファンも「たかが」の存在。球団および球界の私物化。結局,日本の野球とは,誰のものなのでしょうね?
勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
不思議なことに,この名物オーナー,これまでどんな暴言を吐いても大した反応もなく安穏とそのまま居座り続けています。巨人ファンや読売新聞購読者はこのオーナー(社主)の発言をどのような思いで聞いているのでしょう? まさか「たかが選手」発言に対してその通り! と拍手喝采しているわけではないでしょうね・・・。しかし,沈黙を守っている限り,それと同じことをしているということはお気づきでしょうか。こうやって従順な羊のようなサイレントマジョリティーが存在する限り,このような暴言オーナーはいつまでも安穏と権力の座に居座ることができます。そういった輩にお灸を据えたいのなら,ファンのみなさんは直接行動に出るべきです。例えば巨人戦はしばらく見ないとか,読売新聞をやめてみるとか。ブログや掲示板を持っていればそれをネット上で訴えるとか・・・。抗議の手紙や署名も有効な手段ですが,このような直接行動は彼らの売り上げの直結しますので,それよりずっと効果があるはずです。なにせ相手は金の亡者なのですから。われわれ「たかがファン」はひとりひとりの持つ力は小さいですが,それが大きな波になったとき,権力者にお灸をすえるに足る大きな力が生まれます。みなさんもアクション起こしてみては如何でしょうか?
というわけで,最後に無理矢理タイトルのネタに戻ってきますが,みなさん,投票に行きましたか? ひとりひとりの力は小さいですが,「投票」というアクションを起こさなければそれは大きな力になり得ません。今の選挙システムでは,サイレントマジョリティーは確実に為政者に(しかもその為政者が不正や不実を行えば行うほど)利するシステムになっています。いまのプロ野球の性急な合併話に満足ですか? でなければ是非アクションを起こしましょう。今の政治に満足ですか? でなければ是非投票に行きましょう。選挙は20時までやってます。まだ間に合います。我々の明日のために。
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July 07, 2004 | 祝・千夜千冊
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札幌出張から帰って来たばかりでぐったりモードなんであまり深くは書けませんが,取り急ぎ。
松岡正剛の千夜千冊 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya.html が本日,完了しました。まずはこの偉業を称え,祝福したいと思います。
一日一冊ずつ(とはいってもその毎日の評論には必ず複数冊の関連書物が紹介される),かかさず3年余り続けるというウルトラマラソン的な荒行を敢行した松岡正剛氏には,素直に深く頭を垂れたいと思います。
ま,敢えてひとことだけ言いますと,やはり,この手の類いの読み物をモニタ上で横書きで読むのはつらい・・・。(^^; 早く本に(ちゃんと縦書きの本で)ならへんかな〜,と思ったり。
とにかく,素晴らしい,の一言です。七夕の夜,千夜千冊に乾杯。