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April 29, 2004 | 114が聴きたくて・ことの顛末
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ことの発端は,こぐさん日記で「一粒の麦」論が流行った(てゆうかぽた郎がけしかけた・・・?(^^; )ことにあるのデス。けしかけた(?)にしては間抜けなハナシで,実はこぐさんちに書き込んでから書庫を大捜索した結果,ウチにないことが判明(理由は後述),恥ずかしながら慌てて大阪中のCDショップで探してた次第。その間,クラフトワークやらジャコパスやらECMやら余計な魚も釣り上げちゃいましたが(^^)v,ようやく捜索すること三週間目にしてゲットしたわけです。やはりというかなんというか大都会東京,手に入らんものはないですね・・・。さすが。
「一粒の麦」。正確には「一粒の麦,地に落ちて死なずば,唯一つにて在らん,もし死なば,多くの果を結ぶべし。」 のヨハネ伝の有名な一節ですが,ぽた郎はこのフレーズは聖書よりも先にバッハで知りました。高校生の頃,たまたま図書館で借りてきたLP(LP!というのが時代を物語りますが)にヘルムート・リリンクのバッハ全集のうちの一巻がありまして,それに入ってました。それがカンタータBWV114です。図書館から借りてきたLPはカセット(カセット!というのが時代を・・・以下略)にダビング(ダビング!というのが時代を・・・くどいか(笑))したのですが,その後引越を何度か繰り返すうちに無くしたか捨てたか実家に眠っているのかわからない状態になり,真夜中の大捜索の結果,現在の我が家に無いことが判明したわけです。
BWV114自体は"Ach, lieben Christen, seid getrost"「ああ,愛しきキリストの徒(ともがら)よ,雄々しかれ」というタイトルが付いていますが,その4曲目のソプラノ・ソロのコラールが"Kein Frucht das Wizenkörnlein bringt, Es fall denn in die Erden."と歌います。リリング版のライナーノートのコピーがぽた家書庫にかろうじて残ってましたが,磯山雅氏の解説によると,
死の意義を語る,「一粒の麦」のたとえ。通奏低音の性格的音型を伴ったコラール・ソロであるが,シュバイツァーは,この音型が「播く人の腕が種を地面に散らす動きと,殻粒が落ちるさま」を描くと解釈している。とあります。リリンク版では通奏低音は(おそらく,ぽた郎の記憶によると)ポルタティフオルガンのみで,半音階的上昇とトリルを静かに執拗に繰り返すフルート・ストップのオルガンと,祝詞のように抑揚のないソプラノのコラールが妙に印象的でした。
というわけで,カセットも行方不明になるくらい実にもう20年近くも聴いていない曲ですが,不思議とこのフレーズだけはよく覚えていて,記憶の波に揉まれ多少アレンジされながらも,ぽた郎の頭の中にときおり鳴っては止み,止んでは鳴りをくり返していたのでした。こぐさん日記で「一粒の麦」というフレーズを見つけ,その曲が頭の中でまた鳴りはじめ,いてもたってもいられず,ネットやCDショップで探しまわり,ようやく20年ぶりに再開が叶ったわけです。出張先の東京から重いCD-BOXを抱え新幹線に乗り込み(アホや・・・),家に付くまで待てず座席でごそごそと包装を解きBOXを開け(隣の方ゴメンナサイ),お目当てのCDを取り出し,PowerBookで再生。新幹線の走行音と振動と缶ビールの匂いの中で,ヘッドフォンでひとりこっそりとうつむきながら,実に20年振りに古き友人に再会したのでした。古き友人はちょっと面持ちも変わってましたが(ぽた郎の記憶の中でだいぶ「編曲」されちゃったのと,古楽器を使った演奏でリリンク版より洗練されたのと),やはりずっと思ってた通りの「彼」でした。
たった2分7秒の曲のために160枚もCDを買うなんて!とぽた子さんもあきれた顔をしてましたが(そりゃそーだ,フツー),個人的にはそのため「だけ」だとしても充分価値あるものでした。もちろん,そのれ以外の曲も非常に愉しめ,充分元を取ったよい買い物でしたが。
それにしても,なんでこんないい曲が有名じゃないんだーっ! これが単品で出てたらこんな苦労しなかったのにーっ! ・・・ともあれ,コストパフォーマンスのよい全集BOXが手に入ったのだから,結果オーライ?( ̄▽ ̄)
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April 28, 2004 | 114が聴きたくて
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えへへへへ〜・・・。買っちった。Bach全集CD全160枚組。渋谷Towerで45,559円ナリ。でへへ。
続きもあります。>>|
April 21, 2004 | 色は匂へど
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ちょっと前におだあさんの掲示板でTBirdさんが紹介されてたページ,ぽた郎的にはいたく気に入りました。備忘録的にこちらでもご紹介。
■色ものがたり, Le moineau すずめのお宿 http://moineau.fc2web.com/
和の色を見てると不思議と心が和みますね。それがたとえRGBの符号に分解されようとも。それは我々のDNAにインプットされている感情でしょうか。ニュートンは科学的には正しいけれども,我々はラララ科学の子だけれど,やっぱりそれだけではないのだよ。ゲーテさん,あなたも正しかった。少なくとも200年後の世界では。というわけで,ついでにハナシが飛ぶが,「色彩論」。私も心情的にはゲーテの方に軍配。
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April 20, 2004 | Tour de France
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タイトル的には「軟弱ポタリング日記」のネタ・・・と思いきや,やはりここは「形而上」ネタ。なぜならばここで取り上げるのはアームストロングでもパンター二でもなく,クラフトワークだからなのだ。(^^)
■ KRAFTWERK: Tour de France, EMI, (c)2003
■ KRAFTWERK: Aerodynamik, EMI, (c)2004
先日久々に梅田を徘徊したときに,別のターゲットを探しにCD屋に入りお目当てに辿り着けず,ヤケ買いの獲物を探してウロウロしてたところ(こーゆー状態が一番ヤバい),そーいえば昔こぐさんちでクラフトワークの記事があったな・・・,と思い立ってゲットした次第。某店ではクラフトワークはなんと「Techo」でも「House」でもなく,「Rock/Pops」のコーナーにありました。クラフトワークは今やポップスか・・・。まあいいけど。
普段,音楽は外に持ち出さないぽた郎ですが(必要があればお気に入りを脳ミソの中で流す),この手の電子音楽はやはりiPodに入れて外でガンガン聞きたいですね・・・,自転車を漕ぎながら。とまた一つ煩悩の元が増えちゃったりして。
ところでこの記事を書きながら,せっかくのBGMはやっぱしクラフトワークでしょう!と"Tour de France"をiTuneでかけながら"Aerodynamik"のページにアクセスしたら・・・,両方同時にかかってしまいました。"Tour"と"Aero"の二重再生。リズムがビミョーにずれるのはミニマル的? うーん。細胞が沸騰しそうになるほど鳥肌立ちました(イイ意味でも悪い意味でも)。サイケでトランスなクラフト体験。みなさまも是非ドーゾ。(笑)
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April 18, 2004 | イラク問題について,ふたことめ
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イラクで人質になっていた方々5人が相次いで解放されました。ひとまず解決,ということで日本中に安堵感が漂っているようです。と同時に,待ってましたとばかりの自己責任論の大合唱。私にはちょっと違和感を覚えます。政府関係者が発言するのはまあ彼等の立場からわからんでもないですが(それでもレベルの低い発言ではありますけど),本来中立なはずの有識者(と呼ばれている不思議な人々)から一般の方々まで,感情的で短絡的な発言が将来自分達の首を絞めることになりかねないのをわかって発言しているのでしょうか? ちょっとうすら寒いです。
いつくか見られる論調から,自分の考えに近いものをひとつ引用します。
■小倉利丸:「イラクとNGO「自己責任」論でいいのか」,朝日新聞 私の視点欄, 2004年4月17日朝刊
そこでは,戦争の当事国から独立したNGOならではの活動が正当に評価されていない。考えてみてほしい。果たして自衛隊や政府が今,劣化ウラン弾の被害調査や貧しい子供たちへの支援をできるだろうか。自己責任論を展開している人々は総じて,「NGO」や「戦場ジャーナリスト」が何であるか完全に誤解しています。あるいは,完全に無知であると言わざるを得ません。彼等にとって,被害にあった方々はまるで観光か何かに行ったかのような口ぶりです。あるいはよく使われる単語は「ボランティア」。もちろんボランティアも崇高な使命ですが,この場合,事情は「善意の助け合い」だけに矮小化できるものではありません。彼等は「NGO」であり「戦場ジャーナリスト」なのです。自己責任論者は,その観点が完全に欠落しています。
ファルージャでは無差別ともいえる米軍の攻撃によって,多数の子どもや市民が犠牲になっている。もし現地にジャーナリストがいなければ,こうした事実は隠されたままで終わるかもしれない。日本政府はイラクへの渡航を禁止したいようだが,それはイラクの密室化にもつながるのだ。(中略)
政策に賛同しないNGOとその活動を,政府がどこまで手助けするのかーーそれがその国の政治や民主主義の成熟度を示すのである。」
NGOや戦場ジャーナリストがなぜそんな危険な地域に行くのか?という疑問の前に,何故その地域が危険になってしまったのか?それは誰のせいなのか?どうすれば少しでもよりよい将来につなげられるのか?という根源的な問題追求を,自己責任論者は完全に見落としています。あたかも火山の噴火を物見遊山で見に行ったかのように。もしそのような地域にNGOも戦場ジャーナリストもいなくなったら,それはそれで政府や戦争当時者には好都合でしょう。都合の悪いものは全て隠蔽出来るわけですから。そうなるのを防ぐために,NGOや戦場ジャーナリストの方々は文字どおり命を賭けてそこに行くわけです。そういった背景を全く無視して,安全なところからぬくぬくと自己責任論を唱える人たちは,自分たちが思いつきで安易に感情的に唱えた言論が,まさしく権力者に都合のよいように利用され,結果的に自分達の首を絞めることになりかねないことをちゃんと理解しているのでしょうか?
小泉首相の被害者への叱責発言。あれは首相の立場としてはあながち間違った見解ではありません。とかく政府は自分たちの意のままにならないNGOや戦場ジャーナリストを存在や行動を煙たがりますから。しかしそれを感情的に発言するのは政治家としては失格です。いや,もしかして世論操作を狙ってワザと感情的に発言したとしたら,それはもうゲッペルス並の計算づくですね。それはそれで天晴れ。そして,まんまとその感情的な世論操作に多くの一般市民が同調してしまう・・・。これは本当に恐ろしいことです。NGOやジャーナリストはチョロチョロするな。・・・その究極の行き着く先は,「1984」の警察国家やまさしく旧フセイン政権のような独裁国家に他なりません。日本をあまねく覆いつつある市井の自己責任論者は,それを望んでいるのでしょうか? どうか,一時の感情論ではなく,冷静に理性的に考えて貰いたいものです。
最後に。今回は拉致されたのが「たまたま」民間人だったので,悲劇的な結果に終わらず無事解決を見たようですが,同様の事件が再発する危険性はまだまだ減ったわけであはりません。今後,政府関係者や自衛隊員に人的被害が出た場合,政府はどのように対応するのでしょうか? 世の自己責任論者はどのようないいわけをするのでしょうか? そうなる前に手を下すべき最善の策はただひとつ。「テロに屈して」でなく「世論に屈して」自衛隊を速やかに撤退すること。アメリカ占領政策に追従することが間違いだったと素直に認めること。それが国際社会に真の意味で貢献する最善の策ではないかと思います。
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April 12, 2004 | 「ヨコハマ買い出し紀行」,あるいは美しく老いる未来。
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「ヨコハマ買い出し紀行」の11巻が出た。正確には,3月に発売されてたのをうっかり忘れてたのをぽた子さんが買って来てくれたのデス。ありがたや〜。「ヨコハマ買い出し紀行」は読むとホッとしすね。特に最近仕事でトラブルがあり,ストレスもだいぶ溜まっていたので,こういうとき頭をクールダウンさせるには最適なマンガやね(そして最適なタイミングをありがとう〜>ぽた子さん)。
■芦奈野ひとし:「ヨコハマ買い出し紀行」 第11巻,講談社アフタヌーンコミックス
このマンガは「流れる時間の速度」という点において,他のマンガから遠く距離を置く極北の特異点であると言える。流れる時間の「ゆるさ」。ストーリー展開もあるようでないようで,台詞もほとんど存在しないコマが淡々と流れる。単に現実に疲れたぬるい癒し系でもない。ある種の諦観が通奏低音に流れる,毅然とした「ゆるさ」なのだ。これは並のマンガや小説では到底到達し得ない孤高の頂ではないだろうか。
このマンガの魅力は実は,極めて人間的なのんびり屋の美少女型ロボットにあるのではなく,その主人公たちをとりまく特異な時代設定にあるのではないか,と少なくとも私は考える。大きな自然災害か何かで(物語中ではそれは断片的に暗示的にしか示されない)人口が激減し,物流や通信が殆ど途絶えた世界。ロボットや電気スクーター,ジェット推進船などテクノロジーの残滓は垣間見られるが,妙にレトロで鄙びた生活。しかし,争いも対立もなく静かに達観した人々・・・。このマンガのテーマは,実は「老い」なのだ。しかも,美しく迎える人生の最期,これこそがこのマンガの魅力にほかならない。
水没した街に灯る電灯,鬱蒼としたススキ野を縫って走るトラム,草むらに飲み込まれつつも稼働する自動販売機・・・。この著者の偏愛的なテクノロジーのモチーフに対して,そのインフラストラクチャーは誰がどうやって支えているのか?と冷静に反論することももちろん可能である。飢餓や犯罪もない世界はもしかしたらご都合主義に映るかも知れない。しかし,そのようなSF論的指摘はここでは野暮というもの。ここは,カタストロフのあとの死を迎えるまでのつかの間の,そして永遠のユートピアなのだ。登場人物はみな抑制的で柔和で,しかしどこか憂いを秘め,老人も子供も(そしてロボットも)すでに悟りの境地に達しているように見える。そうした覚悟を決めた「ゆるい」時間が静かに流れる。美しく老いる未来。
このマンガを読んでいて,単に一過性のストレス解消ではなく,不思議と穏やかで前向きな感情が湧いてくるのはそのせいかも知れない。私も,早く,静かに美しく老いたい。
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April 11, 2004 | イラク問題についてひとこと。
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この日記を始めた時,仕事の愚痴と政治的な話はしないようにしよう,と考えた。もちろん,現実世界のぽた郎は日々あれこれいろいろとは考えているのではあるが,その考えたことをネット人格の「ぽた郎」にすべて射影しても仕方ないと考えたからだ。この考えは今でも同じではあるが,前者はともかく,後者はやはり避けて通れない,沈黙を続るわけにはいかない,という気持ちが次第に強くなってきた。というより,このご時世,政治に背を向けて安穏と形而上的な世界に引きこもっていることは出来ないし,したくないのだ。というわけで,「ぽた郎」というネット人格に「politics」というカテゴリを与えることにした。まあ,ここはあくまで「形而上日記」なので,あんまし政治的な話ばっかりにはしないように心掛けよう。
■池澤夏樹:「3人の誘拐について大急ぎで, パンドラの時代 http://www.impala.jp/pandora/index.html」
ついに,というか,やっぱり,というか,イラクで日本人民間人が誘拐され,自衛隊撤退の交換条件を突き付けられている。この記事を書いている時点ではどうやら事態は平和裡な解決に向かうようで何よりであるが,この事件はやはり「何故自衛隊なのか?」というテーゼを改めて日本市民の喉元に突き付けた形となった。イラク問題に関してはあまたの評論家が百家争鳴の態を成しているが,個人的には池澤夏樹がもっとも誠実でわかりやすく,かつ正鵠を得た論評を張っているように思われる。少し長いが引用しよう。
では、今、日本はどうすべきか?池澤の述べていることは明快である。「誘拐とは無関係に」撤退すること。誘拐事件が幸い解決に向かったことで,池澤の言説はさらに説得力を帯びて来る。確かにテロや脅迫に屈する形で政策を転換するのは最も最悪のやり方である。誘拐が解決したから自衛隊もOK。小泉政権はそう考えるに違いない。危機管理能力の欠如したあの政権ではそういう思考に走らざるを得ないことは眼に見えている。しかし,テロや誘拐・殺害の危険性は消滅したわけではなく,今後も同様の(あるいはさらに劣悪な)事件が起きる可能性は非常に高い。その時こそどうするのか,小泉政権はちゃんとシミュレートしているのだろうか? ここで最善の方策はただ一つ。「テロに屈して」ではなく,「世論に屈して」速やかに自衛隊を撤収することだ。そうすれば国際的にも国内的にも面目と尊厳を保ちながら「勇気ある撤退」として小泉サンも花道を飾れるであろう。今がその最後のチャンスなのだ。スペインもポーランドも市民の声を反映した良識ある選択をしつつある今,日本だけがチキンレースを続ける必要はないのだ。 続きもあります。>>
自衛隊を撤退させればいい。それ以外に取るべき道はありません。ただし、3人が誘拐されたから、その生命を救うために撤退するのではない。
それでは取引になってしまう。
今後、日本に対して何か強い要求を持つ者に対して、日本の民間人を誘拐すれば目的はかなうという前例を与えることになる。
それこそテロに屈することになる。そうではなくて、自衛隊を復興支援という名目のもとに派遣したことが間違いであったことを正式に認め、今のイラクを平和に導くために必要なのは武力ではないことを認め、その上で撤退を速やかに実行する。
言い換えれば、誘拐とは無関係に、政策の転換を内外にはっきり表明する。