February 26, 2004 | 「ローマ人の物語 IX, 危機と克服」
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■塩野七生:「ローマ人の物語 IX 危機と克服」,新潮社

読了。
数年間,積ん読状態だった「ローマ人の物語」を今年の始めから追いかけて読んでる。読むのは毎日寝る前の本の数分だけなんで,なかなか進まん。
感想はそのち。

February 22, 2004 | 独自ドメイン取得&MT移行化
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ロリポップサーバ&ムームードメインに契約し,独自ドメイン取得。
同時にMovableTypeへ移行を開始。MTはぽた子さんがインストールしてくれました。
旧「さるさる日記」ライクに直すため,スタイルシートと格闘開始。

February 21, 2004 | 「髪結いの亭主」
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珍しくぽた子さんが深夜映画を見ようと言い出したので,眠い目をこすりながら映画を見る。
■パトリス・ルコント:「髪結いの亭主」
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=4714

ぽた子さんは初めて観たそうだが,ぽた郎としてはほぼ10年ぶり。そうか,もうそんなに経つのか。学生時代はいっぱい映画を観たものだ・・・。
あまりに久々に観たんでストーリーはウロ覚えで,最後に自殺しちゃうのはダンナだったか奥さんだったか,最後までハラハラドキドキしながら観てました・・・(どーやら記憶の中で「仕立て屋の恋」と完全に混同してたよーです。(^^))。
非常にフェティッシュなテーマを扱っているにも関わらず,あまりジメジメしたところがなく,さすがおフランス映画!という印象。パトリス・ルコントの作品は,登場人物(ここでは殆どヒモ状態のさえないダンナや美しくもの静かで働く奥さん)に共感や感情移入を容易にさせない。観客を感情移入の罠に誘い込み感動を強要するハリウッド映画とは対極を行く,いかにもフランス映画のフランス映画たる手法だと,私には思える。映画は,登場人物を自分に重ねなくとも,楽しめる装置なのだ。多くの映画は,それを忘れて久しい。美しく,静かで,かつ謎の多い映画が,私は好きだ。

February 16, 2004 | 「大日本天狗党絵詞」
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■黒田硫黄:「大日本天狗党絵詞」,講談社アフタヌーンコミックス(全4巻)
うーん,すごいぞ,やはり,この人は。詳細はそのうち。

February 13, 2004 | メタ批評について。
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先日の高橋源一郎で思い出した。ちょっと古いが引用しよう。私の非常に気に入っているフレーズ。

■浅田彰:蓮實重彦『映画 魅惑のエクリチュール』冬樹社 への書評 (「逃走論 ースキゾキッズの冒険ー」,筑摩書房(1984) 収録)

蓮實重彦の映画論は美しい。それは,おのれ映画についての言説という途方もなく醜悪な存在であり続けなければなることの不幸に身をよじり,映画に近づこうとしては映画から不意打ちをくらって敗走を重ねながらも,とりあえずは言説という映画=映画という言説とでも呼んでおけるであろうような不可能な極限へむかって漸近的ににじり寄っていくことをやめなからである。この点における倫理性ともいうべき徹底性が,おのれが映画ではなく映画論であることの不幸にまるで無感覚な凡百の映画論のあずかり知らぬ比類ない美しさを生み出しているのだ。』

February 09, 2004 | ”Three Tails”
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■Stive Reich: ”Three Tails”, Nonsuch(CD&DVD)
先週買ったのだが,さすがにDVDをまとめて観ているヒマがなかったので,今日になってようやく観る。
うーん。すばらしい・・・。すばらしいが,安易に感想がかけるようなシロモノではない。「感動した」なんていう薄っぺらな言葉では表すにはあまりにも畏れ多い,深く深く唸らせる作品だ。もう少し,考えが沈澱するまで時間をおいて,また書こう。

February 08, 2004 | 高橋源一郎の書評はすごいよね。
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■高橋源一郎:加藤典洋「小説の未来 テクストから遠く離れて」への書評(朝日新聞2004年2月8日(日)書評欄
とりあえず引用する。

さて。いわなきゃならないことがある。わたしは,ずっと,書評やら評論やらに出てくる小説の読み方」が不満だった。ひとことでいうなら「違う!」のである。解釈が間違っているとか,価がおかい,といった問題ではない。それ以前に,なにもわかっていないのだ。
小説家は苦しんでいる。誉められないから? 売れないから? それもある(確かに)。もっと苦しいのは,誰も「現場」に降りて来ないからだ・・・では,よくわかんなかいか。
比喩でいおうね。小説家は地下の坑内で孤独に作業をしている。そこは暗い。手元は真っ暗。でも,掘り続けなきゃなんない。遠くから,ざわざわと「小説の噂話」をしている声が聞こえてくる。バカみたい。その時,小説家の後方から,その手元に向かって,さっと強烈な光が投げかけられ,一瞬,手元が明るくなる。あっ,手さぐりで掘ってたけど,ここって,こんなに広かったのか。ありがたい。欲しかったのは,この「サーチライト」だったのだ。
高橋源一郎はすごい。この人の批評はすごい。凡百の評論家(と自称する人々)がまさしく「小説の噂話」しかしない昨今,これだけ正鵠を得た,しかもわかりやすく温かみのある批評をする人はどれだけいるだろうか(ちなみに加藤典洋は正鵠は得ているがあまりわかりやすくも温かみもない。もちろんそれは欠点ではなく,怜悧な分析こそがこの人の売りだと思うが)。文芸批評の書評,つまりメタ批評を書かせたら高橋源一郎は日本一の批評家だ,と少なくとも私は思う。批評家・高橋をメタ批評してる本ってありませんかね?

February 05, 2004 | 「ローマ人の物語VIII, 悪名高き皇帝たち」
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■塩野七生:「ローマ人の物語VIII, 悪名高き皇帝たち」,新潮社
読了。5年前に買って以来,実は全然読んでいませんでした・・・。ショック。あとでヒマになったら読もうと思ってたら,そんなに経っちゃったのね。というわけで,最近精力的に塩野七生を読んでます。

塩野七生の言う「二流」の人間とは,「普段の仕事をやらせれば完璧だけど,いざというときの危機管理のできない人」なのだそうだ。塩野女史にかかると,「二流」になるのも難しそうね。ましてや「一流」となると・・・。
昔から細々と,しかし根強いファンが多かった(私もそのうちの一人だが)塩野七生がここに来て一躍ベストセラー作家になり得たのも,こういったキツ〜い一発を世のオヤヂたちが渇望しているからなのか。10年以上前から連綿と続いている「ローマ人の物語」がにわかに脚光を浴び始めたのも,やはりその記述がローマ帝国の危機の時代に差し掛かったころからのような気がする。世のオヤヂたちは日本の失われた10年とかつてのローマ帝国の没落を重ねてウンウンと頷いているのだろうか。
たしかに,塩野七生の毒針は快いまでに強烈で含蓄があるが,単に今の己の身と重ねて感傷的に読むのは皮相的だよ,世のオヤヂたちよ。塩野七生の通奏低音は,真の現実主義者としてのマキャベリズムなのだ。感傷や自家撞着に(ましてや過去の栄光や自己弁護に)浸ってるヒマはないのだ。