June 19, 2006 | 神仏習合(其之二):丹生と金剛,ミイラと空海
イキナリ神仏習合とはちょっと話題が逸れるけど,さっそく閑話休題すんません。浮おじさんのとこで丹生(硫化水銀)のことが話題になったので,そーいえば,と早速気になる本を取り寄せて読んでみました。
■松田壽男:「古代の朱」, ちくま学芸文庫, 筑摩書房 (2005).
原始日本人が使ったアカ色には二種あった。一は水銀系のアカ,つまり硫化水銀 (HgS)。一は鉄系のアカ,すなわち酸化第二鉄(Fe2O2)である。水銀系のアカが(中略)純粋のアカ色を呈するのに,鉄系のアカはベンガラといわれ,やや黒ずんで紫色に近い。この鉄系のアカは古く「そほ」といわれた。古代の日本人は漢字を学んで「赭」という字をあてた。これにたいして水銀系のものは「まそほ」,つまり正真正銘のソホであるとし,「真赭」と表現されている。のちに,おそらく天平時代と推測されるが,鉛系のアカができた。科学的にいうと四酸化鉛(Pb3O4)である。一般に鉛旦(えんたん)といわれた。鉛旦はまた黄旦(こうたん)と書かれているように,赤と黄の中間で,俗にいうミカン色である。うーん,うっとり(笑)。こういう文章を読んでるとシアワセになりますねぃ〜。これぞ人文科学と自然科学の幸せな結婚。事実,古代のハイテク技術である金属鋳造と当時の知識のアーカイヴである社寺って,実は切っても切り離せない関係なのです。例えば八幡信仰と銅,金屋子神社と鉄,金山彦神と金・・・,そしてその背後には渡来系の技巧集団と武器と戦争と政治が,あるいは大事故と人身御供と祟りと怪談が・・・。このあたりを追ってくと,ホンマに奥が深そうで現実に戻ってこれなくなっちゃうかも。
さて,神仏習合。空海が開いた高野山・金剛峯寺と丹生都比売神社は神仏習合の好例としてあまりにも有名ですが,著者は,この高野山と丹生都比売神社の関係を面白いモノで結びつけています。・・・それは,ミイラ。即身成仏です。
日本製のミイラにまつわるいちばん大きな謎は,日本の風土が湿潤であって,ミイラの製造にはもっとも適していないという点である。それにもかかわらず,現在までミイラはたくさん残っている。死臘のばあいはいざ知らず,ミイラとなると,何らかの手段が加えられているのにちがいない。そこに私は水銀のもつ防腐作用を考える。うーむ。なるほどー,やはりそうだったのか。東大寺大仏殿を建立したときも宇佐八幡神が勧進されたけど(こちらは銅に関係する技術神。このハナシもいずれまた後日書きたいと思います),金剛峯寺の縁起もやはり技術神系の神と深い関連があったのですな・・・。
だいいち,空海が真言宗の本拠と定めた高野山は,全山が水銀地帯である。高野山の壇上,つまり中心地には丹生,高野の両明神の社がある。また空海の墓側にも,墓を護るかのように両明神が祀られている。高野明神は高野山の地主神であるが,丹生明神は後述のように水銀の女神にほかならない。
・・・(中略)・・・
たんなる高僧としてだけでなく,空海は,学者として知識人として平安朝第一の人物であった。彼は中国に渡って専門の仏教をより深めたことはいうまでもない。その上にいろいろな学問を身につけ,いろいろな新知識を日本にもち帰った。水銀の薬物としての性能を巧みに応用して,中国人が不良長寿の薬として珍重した丹薬の製法も,また水銀を死屍(しし)に注入すれば防腐剤として作用する事実も,みな空海によって日本に輸入されたと考える。(中略)空海自身が弘仁七年(816年)に高野山を開基したのも,水銀に関係あり,と私はにらんでいる。
神様仏様,と今日の我々は「別の宗教」として八方美人的に節操なくお参りしているように見えますが,実はやはり,この二つの宗教は単純に「二つ」とカウントできないほど,根っこのところで深く深く結びついているのです・・・。我々ノ文化ハ斯ク形成サレタリ。誰や?神と仏をムリヤリ離婚させたんは? 蓋し,神仏習合の迷宮は深く愉し。今宵も深い沼にズブズブ・・・。
補遺:高野山はお墓博覧会
上掲写真は2001年に高野山の宿坊に泊まって精進料理三昧ポタをしてきたときの写真。当時なにげに撮った写真を探すと・・・ありましたありました。神仏習合の証拠写真がバッチリざくざくく。写真は安芸の浅野家(忠臣蔵の浅野内匠頭で有名な赤穂の浅野家はその分家)の墓所。真言を刻んだ五輪石塔に鳥居! うーん,うっとり(笑)。この苔生した威厳が歴史を感じさせますな。傍若無人な明治政府の暴風雨もここまでは及ばなかったということか。こーんな感じの組み合わせが高野山ではごろごろと。あまりにフツーで,あれ?鳥居のマークはお寺だったっけ?と,くらくら錯覚を起こしちゃうくらいフツーの佇まいがステキ。
余談ですが,高野山奥の院の墓所は,こんな神仏習合物件だけでなく,ロケット型のお墓とか,福助型のお墓とか,シロアリの墓とか,楽しい(と言っては失礼だが,事実興味深い)お墓がところ狭しと並んでます。その他,松下幸之助とか豊臣秀吉とか,大物のお墓ももちろん多数。まさにお墓の博覧会場。皆の衆,是非,日本の深層を,行って見るべし。
鋳鉄の技術が発達した民族が戦に強かったのは、鉄製の武器を使用したことよりも、実は馬の蹄鉄技術が発達し、長距離かつ早い移動が可能になったからではないかと呟く人がいました。まぁ当時の鉄はもう姿も形も無くなっていますからねぇ。
................. by mame00 (06/20 09:21)さすが ぽた郎さん アカデミックですね ただの神社好きには ついていけなくなりますわ・・曽我馬子、聖徳太子が物部守屋を滅ぼし 勝運寺を八尾に 物部の浪速の館跡に 四天王寺を建立 でも 今も四天王寺には鳥居が 安井神社や 大江神社などは 四天王寺の守り神と やっぱ 聖徳太子も 神様と縁がきれなかったのか・・仏教には経典があり 神道にはない 国を治めるには 仏教の方が やりやすかったのでは・・・・とえかげんな 親父の 独り言・・
................. by まだまだ (06/20 23:09)>mameさん
お久しぶりです。日記は再開されないんですか~?(^^) そーいえば,「騎馬民族征服説」なんてのも一世を風靡しましたね。継体天皇は渡来人だった!・・・とか。鉄・馬・仏教・・・当時の政治を左右する最先端のハイテク技術・思想だったわけですね。
>まだまださん
いえいえ~,目に付いた本を乱読してるだけのアマチュアごっこ遊びでございます。みなさんそれぞれ各方面にマニアックで造詣が深いので,いろいろと勉強になります。確かに,神道が理論武装を始めたのは平安中期から鎌倉のことで,その概念も多くは仏教から影響があったと・・・,読んだ本に書いてありました。でも蘇我氏が物部氏を滅ぼしても当時の土着民間信仰だった神道を根絶しなかったのは興味深いですね。このへんも追っかけてみよう~っと。(^^)v
今朝かた 思い出したんですが ご存知なら失礼! 日吉大社のご祭神 オオヤマクイ神は丹塗矢に化身して 川を流れて タマヨリヒメ命と結婚する 神話があります
一般的には穀霊と巫女との神婚を反映したものと 言われてるそうです 他にも なんか 意味あるかもしれませんね・・ 丹塗矢は他の神ついても 神話があったような・・ つまらん話ですいまへん 急に思い出したんで・・
まだまださん,情報感謝です。日吉大社の縁起は知りませんでした・・・。日吉大社といえば山王神道の総本山,本地垂迹説理論武装の本拠地。おもろそう・・・。この話題,まだまだつきないですね。ゼヒゼヒまたマニアックな情報をばお願いいたします。ズブズブ・・・。( ̄▽ ̄)
................. by ぽた郎 (06/25 00:21)