July 03, 2005 | 塚本邦雄,雨の日曜のサティ,倉橋由美子
雨の日曜日。どこかに出かけるのもおっくうなので,家でダラダラ過ごす。こんなに自由な時間をもてあましてみるのは,実に久々だ。ヒマにまかせて先日,京都の「アスタルテ」で買ってきた塚本邦雄の本を読む。
■塚本邦雄:「玉蟲遁走曲」,白水社 (1976). (絶版)
やはりこの人は只者ではない。ワーグナーと斑鳩,カルミナブラーナと梁塵秘抄,レオ・フェレから西條八十まで,時空を自在に往還する。旧字体旧かなづかいで,居合い抜き的辛口評論を展開する好々爺。元?ワグネリアンらしい氏であるが,エリック・サティに関しての微笑ましい論評があった。引用しよう。
エリック・サティは恐らくワグネリアンやベートーヴェン病患者やモーツァルティストには鼻持ちならぬ存在だらう。そして彼らを顰蹙させることが,結果的にはサティの目的だつたとも言へよう。音楽は哲学ではない。まして宗教などであらうはずもない。あの大層な情念の熱気,あの荘厳無比の理念と表白,不可解,不可批評の形而上学,それらの仮面がサティには耐へがたかつた。それらの恐るべき先入観と属性に汚染された音楽を,新鮮な大気(エール)と調べ(エール)に還元し,人人の<明暗(あけくれ)の額 = musique tous les jours>を創らうと考へたのだ。(原文は旧字体)雨の日曜日のアンニュイな午後,音楽をかけるのも億劫な気怠い気分の中で,突如,頭の中でサティが鳴りはじめた。そういえばぽた家書庫にもサティの音盤があったはず。そう思って書庫を家捜しすると・・・,おお,あった。ありました。サティ全集。そーいえばこんなん昔買ったっけね。いつ買ったかもう覚えておらん。それぐらい昔。
■ERIK SATIE, L' Oeuvre pour piano, Aldo Ciccolini (piano), EMI Classics CDS 5 55076 2(五枚組)
さっそくiTunesに焼き,テンポの遅い曲を選んでボリュームを絞ってかける。Gnossiennesとか,Vexationsとか,Deux petits choralsとか。日曜日の読書のBGMには最適な音楽。
サティをかけながら塚本邦雄を読む。そういえば,倉橋由美子もサティが好きだったっけな・・・と思い立ち,またまた書庫に降りてゆく。ああ,ありました。そのままずばり,「最後から二番目の毒想」。
■倉橋由美子:「最後から二番目の毒想」,講談社 (1986).
こちらは特に音楽評論(エッセイ)ではなく,文芸評論。改めて読み直すと,やはり倉橋女史ならではの毒のある,しかし愛のある辛口批評。あとがきから少し引用してみる。
最後にこの本のタイトルについて書いておくと,サティの愛好者ならすぐにお気づきのことと思うけれども,これはサティのピアノ曲「最後から二番目の思想」によるものである。(中略)私の書くものはほとんどが毒薬である。ただし,服用すれば正気に返るという効用のある毒薬である。それで,この本の中味を簡単に言えば,「いつも惰眠を貪っているふとりすぎた脳細胞を目覚めされるための毒言集」ということになる。もちろん,これもサティの「いつも片目をを開けて眠っているふとった猿の王様を目覚めされるためのファンファーレ」に倣ったものである。残念ながら,長すぎて本の背表紙に収まりそうにないので,タイトルにするのは諦めた。
日曜日の午後,BGMのサティを介して,二人の作家が繋がった。二人の作家の(そしてもうひとり作曲家の)共通点は,妖しく甘美な毒,棘のある美しい華,というところだろうか。ヨーロッパのカラリと乾いた思想と,アジアのしっとり湿った情念を適度に往来する二つの巨匠。奇しくもお二人とも,つい最近相次いでお亡くなりになられたばかり。改めて,この二人の後を継ぐ者がいるかと憔悴しつつ,一つの時代が終わったことに愕然としつつ,ご冥福を祈ります。
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