May 16, 2004 | 黒田硫黄,完全不調和の大王

黒田硫黄について書かねば,と思いながら実にもう3ヶ月も経ってしまった。このヒトの作品について言葉を紡ぐのは非常に難しい。ガツンと何か感じるものはあるしかし,それが容易に言葉にならない。使い回された陳腐な感想を寄せつけない無言の圧倒感があるのだ。だからこそ,プロの物書きは黒田硫黄について書きたがるのかも知れない(「ユリイカ」2003年8月号)。難攻不落の城を攻めるように・・・。ぽた郎も(無謀にも!)挑戦してみよう。

黒田硫黄の魅力は「予定された反調和」にある。予定調和でも完全調和でもない,予定反調和,完全不調和とでも敢えて呼んでおこう。黒田の作品は,一見して破綻している(かのように見える)。書きなぐった動線,荒唐無稽な設定,支離滅裂な登場人物,脈絡の無いストーリー展開,果てはやる気のないような無責任で唐突なエンディング。・・・これだけ書くとまるで駄作の山を量産する無能漫画家を紹介しているようである。しかし一見そう見えて実はそうではないのが黒田の魅力。博学で学術的な時代考証,精緻でギミックなディテール,濃密で繊細な心理描写,計算しつくされた手の込んだプロット・・・。同じ作品,同じ作家にこれら両極端の評価が同居する大いなる矛盾性。それが黒田硫黄を黒田硫黄たらしめる魅力にほかならない。完全不調和。形式やスタイルがほぼ確立し,もはや閉塞感が議論されるほど成熟してしまった日本マンガの「お作法」を小気味良く破壊する恐怖の大王,それが黒田硫黄なのだ。

例えば,「富士山の戦い」(「茄子」第3巻収録)を見よ。また「鋼鉄クラーケン」(「黒船」収録)を見よ。茄子に酷似した宇宙生物の侵略により富士山頂でプラント技術者が孤立したり,巨大イカの力を借りて東インド会社がフランス艦隊を全滅させたり,そのような壮大なスケールに読者を引きずり込んだあげくに,主人公たちは平然と煙草を吸いながらマージャンをしたりバーで女を口説いたりしたまま物語は終わってしまう。なんのこっちゃ。で? あの設定は,あのディテールは,あの盛り上がりは,一体なんだったの? 読者はトツゼン作者にも主人公にも見放され,作品の中に置き去りされたままボーゼンとするしかない。この甚だ不親切で無責任なオチ。大団円も悲劇的な英雄の死も拒否した,物語の破壊。今や薄っぺらな「記号」になれ果ててしまった「エンディング」への葬送。それが黒田作品の深淵な罠であり甘い魅力と言えるであろう。

黒田はこれは綿密な計算の元に描いているのであろうか? それとも本能と直感で描いているのであろうか? ユリイカの鼎談を読む限り,どうやら後者のようである。しかしそれがどちらであっても大した問題ではない。読者はワクワクしながらページをめくり,黒田の世界に引き込まれ,爽快に裏切られる。物語から突き放された軽い喪失感と,冷静な自分を取り戻し現実に還る愉悦感。黒田の作品を読み終えたあと長く残る爽やかな(しかし決して単調ではない豊潤な)余韻は,あたかも良質の(しかし個性的でクセのある)モルトウィスキーのフィニッシュのように,長く,静かにたなびく。

Category: 2. comic
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