March 02, 2004 | それは違うぞ!野ばらちゃん

■獄本野ばら:「澁澤龍彦,ねぎらう」『恋愛の国のアリス』,朝日新聞2004年3月2日夕刊

獄本野ばらちゃんは最近ずいぶん売れっ子の作家になってしまいました。彼(彼女ではありません,念のため)がまだ大阪ローカルのフリーペーパー「花形文化通信」に『それゐぬ 正しい乙女になるために』という小さなコラムを連載してたころからファンだった我々(ぽた郎&ぽた子)としては,もう遠い人になってしまったのね・・・。という万感の思いです(故に,我々の間では「獄本野ばら」と呼び捨てにしたり「獄本氏」と敬称をつけたりせず,「野ばらちゃん」と呼び続けています)。実際,ベストセラーになってからの彼の文章でも,多少毒が薄まったとはいえ,他の人には真似できないような特異点からの眼差しは衰えていないどころが,ますます冴えわたるような気がします。が,ファンだからこそ,敢えて言いたい。「野ばらちゃん,それは違うぞ!」と。

澁澤さん,僕は貴方の血をひく者であると名乗っていいのですね? 芥川賞やノーベル賞を貰うより,僕は作家として最高の栄誉を授かりました。
これは野ばらちゃんが今回,澁澤龍彦の『黒魔術の手帖』の文庫本の解説を書いた経緯の中で述べた言葉です。もちろん,野ばらちゃんが奢りたかぶって自らの栄誉を吹聴しているわけではないのは,苦悩と逡巡に満ちた,それに至る文章から容易に読み取れます。実際,一部の批評家から彼の扱うジャンルが澁澤的であるという指摘もされており,彼にその発言をする権利(というものが文壇で存在するのかどうかはともかく)があるのは充分理解出来ます。それでも,やはり,「それは違うぞ!」なのです。
この違和感は何なのでしょうか? 野ばらちゃんは野ばらちゃん。澁澤龍彦は澁澤龍彦。それでよいのではないでしょうか? たまたま放物線を描いて澁澤の引力圏内に吸引されたとしても,また野ばらちゃんは野ばらちゃんの自由な弧を描いて去っていけばよいのではないでしょうか? 澁澤と言う途方も無い無限遠の消失点を追い求めることは,野ばらちゃんが野ばらちゃんでなくなってしまうような気がしてなりません。
というわけで,それは違うぞ!野ばらちゃん。野ばらちゃんは野ばらちゃんのままで,ずっといてくれることを切に願います。

(追記あるいは蛇足:ああ,そういえば,「ゴシック」や「ロリータ」は確かに澁澤の世界の一部だけど,「乙女(おとめ)」はやっぱりちゃうよなー。それはどうなのよ? とも思ったり。)

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