January 01, 2004 | 日記を始める。
かつてぽた郎は学生のころ,日記を書いていたことがあった。そして長らく日記を書くのを止めていた。意図的に。もちろん,「軟弱ポタリング日記」や「あるちゅ〜のーと」は毎年中断しながらも細々と続けているが,これは単なるメモである。戯れに「日記」と名付けたりもしているが,ぽた郎の中では「日記」ではない。日記を書く,というのはやはり特別な行為なのだ。
「日記を書く」という作業は重い。
ひとたび「日記を書く」ことを意識してしまうと,生活そのものが「日記を書く」ために存在してしまうかのようだ。日記を書くために考え,日記を書くために行動し,日記を書くために喋る。一挙手一投足,「これは日記に書かなきゃ」と思い,「これもまだ書いてない,あれもまだ書いてない」と苦悶の日々が続く。思考がすべて日記に支配されてしまうのだ(この関係はひとたびカメラをもつと,視線がすべてカメラに支配されてしまうのと似ている)。少なくともぽた郎にとっては甘美なまでの非日常的非生産的な行為であったのだ。
学生時代は有り余る時間を持て余し,日記に支配されながら生活を送ってもそれなりに低空飛行ながら破綻せずに切り抜けられた。陰々滅々で日記の泥沼にはまることもあれば,日記のおかげでなんとか精神的破滅にも陥らず危ういバランスを保てたと言える。しかし,今,(とりあえずまともな)仕事をもち,日々の雑務に追われる毎日ではたして「日記を書く」などという重い,愉悦の,自虐的な作業を続けることができるであろうか?
これが今まで日記を書くことを意図的に止めていた理由である。ではなぜ,ここにきて再開するのか?
ふと,なんとなくそろそろ頃合いかな,とある日突然思ったのだ。思ってしまったら,その瞬間から,「日記を書く」ことに支配されてしまう。1行たりとも日記を書かずとも,生活の全てが「日記を書く」ことを前提に一挙手一投足からめとられてしまう。甘い,悦楽の罠に。当面の目標は,日常とちゃんと両立できるか,かな。学生時代は2・3日日常に帰ってこれなくても,まあ許されたが。日常に帰ってこれなくなったら,仕事に破綻を来すようだったら,日記をやめよう。
「日記を書く」ことは重い。重いが故に己を己であることをあらためて思い出させてくれる甘美な装置である。故に,日記を始める。